2012年7月 5日 (木)

アンドゥイア

アンドゥイアというのは、南イタリアのカラブリア州特産。唐辛子を練り込んだサラミだけど、上質のラードを使っているのでパテ状で柔らかい。何でいきなりこの食品が出て来たかというと、3月のイタリア滞在の時にTASTOという食の見本市がフィレンツェであったのです。入場料を払えば何でも試食OKというイベントで、出口の所にマーケットがあるので気に入った物を買って帰れる。ここでアンドゥイアを知りまして、美味しくて珍しいから、これは買って帰らねばと。

063

と言う訳で、今頃になって食べる事にしました。賞味期限が7月末なのでギリギリ。イタリア土産をチビチビ食べてたんだけど、このアンドゥイアで最後です。写真の左側がパッケージ。一目で辛い食品とわかるデザインが秀逸。

で、パッケージに書いてあるけどアンドゥイアの綴りは ‘NDUJA なんだよね。Nの字の前に点が打たれている。最初私はどう読むのかわからず「ンドゥジャ」と発音してました。だいたいのイタリア語はローマ字読みなんだよね。ところがイタリア人の友達に話しても通じない。

「TASTOに行って来たんだ。ンドゥジャが美味かったから買って来た。」

「何、そのンドゥジャって?」

「カラブリアのサラミだよ。唐辛子入りで柔らかくてさ・・・。」

「ああ、アンドゥイアね。」

「・・・あ、そう発音するの。」

なんて感じで。本来はイタリア語にないJの字も入ってるし、非常に発音しにくい名前です。一体どういう経緯でこんな変な名前になったんでしょうね。アンドゥイアって名前をなかなか覚えなかったな。

064

TASTOではクラッカーに塗ったのを試食させてもらったので、パンに塗ってトーストにしました。ちょっと温めれば柔らかくなって塗り易い。

・・・美味しい!!病み付きになる味。唐辛子は苦手なんだけど、これはいける!!他にもトマトソースに混ぜてパスタにする事も出来るみたい。是非やらねば!!

アンドゥイア、フィレンツェでは見た事が無いけど、単に私が無知なだけかもしれない。興味無い物ってスルーしちゃうしね。置いてあっても気が付かないって事はあるかも。フィレンツェ在住の方、「普通にあるよ。」って事でしたらご一報下さい。来年も買って帰りたいのです。

| | コメント (6)

2012年5月 7日 (月)

帰国の便にて

3月30日(金)にフィレンツェ出発。空港で手続きを済ませて、後は飛行機に乗るだけって事で、時間もあるのでバールで最後のコーヒーでも飲むかと思ってたら、友達を発見。小さな子供と一緒にコーヒーを飲んでブリオシュを食べてる。似てるなあと思って見てたら、顔をあげて目が合ったら「あっ!!」と言われた。やっぱり友達でした。

この方はカメヤマさんといって、私と同郷なのです。私がフィレンツェに住んでた頃からの友人で、生け花をやるので日本文化祭の時には駆り出されて一緒に行動する事も多かったんですけどね。ここ何年か会ってなかったのですが、今はフィレンツェを離れて娘さんを生んだという話は聞いてました。今回は里帰りするそうで、セントレア空港までは一緒の便という事でした。久々なので互いの近況報告などして、出発まで一緒にいました。

で、離陸の時間。フィレンツェ空港は小さいので、そんなに大きな飛行機ではないので、ゲートからはバスで移動するんですね。列に並んでたら、カメヤマさんの娘のキアラちゃん(3歳)が緊張したのか、その場で「ゲェッ」と床に吐いちゃった。ポケットティッシュを持ってたので、袋ごとカメヤマさんに渡しました。バスは全員揃わないと出発しないし、2人を置いて先に行くのも何なので、待っててあげたんだよね。

しかし、この時にどうも私は絵的にまずいんじゃないかと気が付いた。カメヤマさんとは同年代なので、知らない人が見たら家族連れと思うだろうし、そうなると「あの旦那さん駄目駄目よね。奥さんが一生懸命動いてるのに、ティッシュ渡しただけで、ボーッと突っ立って見てるだけなんて・・・。」などと思われてるんじゃないかと。

仕方ないのでカメヤマさんの手荷物を持ってあげた。最初はカメヤマさんも遠慮したんだけど、キアラちゃんを抱っこしなきゃいけないので、結局私が重い荷物を持って一緒にバスに乗り込んだ。・・・どう見ても家族連れだろうな。

フィレンツェからフランクフルトまでの飛行機ではカメヤマさん達の席は私の2つ前でした。私は前日は徹夜だったので到着するまで睡眠。

着陸してからは、またカメヤマさんの荷物を持ってあげなきゃと思って、2つ前の席のカメヤマさんに「荷物は私が下すから、ちょっと待ってて。」と話しかけた。キアラちゃんは着陸した時に怖かったみたいで、ギャーと泣き出してる。私たちの席は飛行機の真ん中ぐらいにあるので、前か後ろ、人が少ない方から降りるかと、見まわして状況を確認してたんです。その時に私の後ろに居た日本人の女の人と目が合った。どうやら旦那さんとそのお母さんと一緒に来てるようで、「どちらまでですか?」と聞かれたので「名古屋までです。」と答えた。「あ、私たちと一緒ですね。」と言って、泣き叫ぶキアラちゃんをあやすカメヤマさんの方を見た後、私の顔を見て「大変ですねえ。」と言うので、「いえ、私の子供じゃないんです。」と言ったら「エッ・・・」と顔色が変わってた。

まずい!この人、絶対に誤解してる!!と思ったので「あの人は私の友達で空港で偶然会ったから一緒に居ただけなんです!」と説明したら「ああ・・・。」と納得してくれたみたい。

・・・何かさ、これじゃ私が「連れ子がいる事を承知で一緒になったけど、やっぱり自分の子供じゃないから愛情が持てなくて・・・それにしても初対面なのに私の子供じゃないなんて事を言うなんて、余程嫌なのかしら。まだ小さい子なのに。この男、温厚そうに見えるけど虐待なんかしてるんじゃないでしょうね・・・。」などと思われてそうで。一瞬だったけど、すごく気まずい空気が流れたんです。「私の子供じゃない。」ってのは完全な事実なんだけどなあ。

飛行機から降りたけど、キアラちゃんはまだ調子が悪そうなので、まず最初にベビーカーを借りようという事で、一緒に移動。フランクフルト空港もけっこう大きいので、サービスセンターまでけっこうな道のり。カメヤマさんの荷物はけっこう重かったけど、キアラちゃんを抱っこする方が大変だったと思います。しばらく歩いてようやくベビーカーを借りれた。名古屋行きの便まで2時間程あったので、昼ご飯でも一緒に食べるかという事になって、その前にターミナルとゲートの確認しに行った。

「えーっと、名古屋、名古屋・・・。」と言いつつ、モニターを見てたら、横に居た日本人の女の子に「一緒ですね!」と声をかけられた。「ああ、そうなんですか。私はフィレンツェからですが、どちらからです?」「ボローニャからです。」・・・と良い感じで会話してたんですが、間の悪い事にベビーカーを押しながらカメヤマさん登場。

「何、女の子に声をかけてんのよ!?」

と笑いながら言うので「いや、別にそういうわけじゃない・・・。」と返したら、女の子は「じゃあ、後ほど・・・。」と言って離れてしまった。

・・・あのさあ、変なタイミングで声をかけないでくれよ。あれじゃ奥さんに子供の世話を押し付けて遊び回ってるチャラチャラした男みたいじゃないか。私としては普通に振る舞ってただけなんだけどなあ。実際は友達が困ってたので助けてたのですけど、知らない人から見ると印象が悪くないか?

カメヤマさんに文句を言ったのですが、あの方は当意即妙に長けているので、「何よ!あなただって、少しは子育てを手伝ってくれても良いじゃない!」と返されてしまった。オレはそんな事を言われてしまうのかと愕然とした。家庭を持った男って、行動や発言が不自由なんだなと考えちゃいました。

その後、お昼ご飯。「一緒に居てくれて、本当に助かったよ!」と感謝されて、ビールとカレーライスをご馳走になりました。前からフランクフルト空港のチキンカレー食べたかったんだよね。この頃になるとキアラちゃんも元気になって、お人形遊びなど始めたので、先に食べ終わった私がちょっと遊んであげたり。「最早、実の親子ね。」と言われた。・・・こういのも悪くないなと、ちょっと思って照れてみたり。・・・よせやい!

この後はキアラちゃんも元気でスムーズに帰れました。フランクフルトから名古屋までは、席が離れちゃいました。名古屋に着いたら、カメヤマさんに「隣の席の女の人に、ご主人と席が離れちゃいましたねって言われたわ。」と言われた。やっぱり小さい子供連れだと目立つんですかねえ。思ったより多くの人がうちらの事を見てたようで。

ともあれ、最後の最後で面白い体験が出来ました。退屈しなかったしね。

以上で2012年のイタリア滞在記を終わります。成果は秋の展示会で。

| | コメント (10)

肉の日

3月29日(木)は帰国前日なので挨拶回り。22軒回りました。(その内、職人さんの工房は18軒)お昼ご飯はフィレンツェモザイクの本永景子さんが作ってくれました。あとベルコーレのオーナーのアブデル氏にワインを、額縁職人のレオーネに自家製のツナを貰った。自分で釣ったマグロで作ったんだって。いろんな物を貰いますねえ。幸い、今年からルフトハンザ航空では22kgまでならスーツケースは2個預けれるので、大きめのカバンを買って、書籍とか服とか衝撃を与えても大丈夫そうなものをそちらに詰めて持ち帰る事が出来ました。

一日中、歩き回って夕方に下宿に戻り、風呂に入って最後の晩餐へ。この日はオニサンティ通りにあるアルマンドと言うレストランで食べました。私の友人の横田夫妻は、毎月29日に「肉の日」というイベントをやってるんです。皆で集まって肉をたくさん食べましょうという趣旨。一度参加したかったんだよね。だから今回は30日まで滞在する事にしたんです。

2851

残念ながら、料理の品数が多かったので、写真を撮るのが面倒くさくなって途中で止めました。横田夫妻のブログにこの日の料理は出てますので、興味のある方はどうぞ。しかし、凄い量でした。久々に食べた仔牛の脳のフライが美味しかったなあ。この写真は終わるちょっと前。男性陣と女性陣に分かれちゃってます。皆、満腹状態。

2852

こちらは女性陣。ガールズトークって感じでしたな。横田さんの奥さんの従兄のご家族も参加されてましたが、ビステッカ(ステーキの事ね)のあまりの美味さに身悶えていた。美味しい物を食べてる人を見るのは楽しいですね。

ちなみに、このアルマンドってお店では今回の下宿で同居してた子が働いてます。料理人2人と同居でしたね。もう一人は前のブログに書いた、エノテカ・バリックで働いてます。2人とも感じ良い子たちでした。

お酒の方は程々でしたね。宴が終わって、皆と別れて、下宿に戻って、切り絵の制作しなきゃいけなかったし。

多少は酔ってたけど、気合い入れて切ってました。翌日の朝5時に切り終えて、部屋を掃除してシャワーを浴びて、朝の7時に下宿を出ました。最後まで緊張感が続いて良かったです。切り終えた直後に緊張の糸が切れて、そのまま寝ちゃって飛行機に乗り遅れたなんて事があったら笑い者になるしな。

と言う訳で、最後までイベント続きで充実したイタリア滞在.でした。ああ、書き忘れてたけど、26日(月)の夜はフォルテピアノのコンサートに行ったんだった。前に切り絵にしたフォルテピアノの修復職人さんの工房(女性3人でやってます。)は音楽学校とくっついてまして、コンサートホールもあるんですね。今回遊びに行ったら、職人頭のドナテッラさんにコンサートに招待してもらったんでした。フォルテピアノの演奏を生で聞くのは初めてでした。音楽は全然詳しくないけど、心地良かったです。

以上で2012年のイタリア滞在記は終了・・・と言いたいのですが、帰国の便でもう一つおまけがあります。その話は次回の更新で。

| | コメント (0)

2012年5月 5日 (土)

サン・マリノ共和国

3月28日(水) イタリアから帰国したのは30日(金)なので、前日の29日(木)は挨拶回り。だからこの日が取材出来る最後の日ですね。

エミリア・ロマーニャ紀行の最後はサン・マリノ。世界で5番目に小さい国家で、最も古い共和国。今回一番行きたかった場所ですね。モデナとマラネッロ、サン・マリノに行くのは初めてです。

フィレンツェからだとちょっと交通の分が悪いので、早起きして5:28の電車に乗って、ファエンツァで乗り換え。リミニに8:37に到着しました。・・・って、いつもまだ寝てる時間だよ。そして下手すりゃ朝の6時まで起きてる事はあるのだ。

サン・マリノは崖の上にある町なので、電車で行けるのはリミニまで。リミニからはバスで行きます。リミニのインフォメーションは既に開いてたので、バス亭の場所と時間を確認。次のバスまでちょっと時間があったので、近くにあるバールに入って朝食。

そうしてる間に、サン・マリノ行のバスが出るバス停に、切符売りのおばちゃんが登場。

2219

このおばちゃんにお金を払うと、切符をカバンから出してくれます。イタリアの交通機関としては珍しい販売形態。バスのチケットと言うと、だいたいキオスクみたいな売店かタバコ屋さんで買えるし、長距離の場合、バスターミナルから買う場合は駅に窓口があるしね。それにしても、このおばちゃん、かなりのお歳のように見えますけど、椅子と机はどこから出して来たのだろう・・・。コーヒーを飲んでて見逃したのが悔やまれる。

バスはリミニを9:25に出発し、10:10にサン・マリノに到着。リミニのインフォメーションでサン・マリノの地図も貰ってたので、そのまま散策。

しばらく歩いたらロープウェイがあったので、それに乗って町の麓まで下りてみました。・・・って、来たばかりでもう降りるのかって感じですね。とりあえず、町の全体像も見ておきたかったんですよ。

2237

ロープウェイの駅から見た風景。かなりの急斜面です。

2252

ロープウェイの下側の駅にあったド○え○んの乗り物。思いっきり偽物ではないか・・・。2256

麓から見た風景。この教会も良い感じですね。教会の向こうに山が見えます。この山はティタノ山と言って、この山の上にサン・マリノの町があります。・・・ティタノ山って良い名前ですね。ティタノって巨神って意味です。

ロープウェイで登り直して、改めて市内散策。 まずは市庁舎へ。

2487

・・・市庁舎じゃなくて、この場合は政庁だね。4月だったら衛兵がいるんだけど、1ヶ月早かったですね。残念。でも素晴らしい青空。今回の滞在、始めの頃に2日ほど雨がぱらついたぐらいで、後は上天気でした。普通は3月というと、天候が不安定で物凄い土砂降りが頻繁にあるんだけどね。旅行者としてはありがたい。でも住んでる人にとっては水不足で大変だったみたいだけど。もう解消されてると良いのですけどね。

2295

サント・ピエーヴェ教会。サン・マリノで一番重要な教会。駐車場にフィアット500が停まってた。どうしてもルパンの「カリオストロの城」を連想します。実際に制作するにあたって、この場所がモデルになってますからね。

サン・マリノでは2つの要塞があります。中は展望台があったり、昔の武器を展示してたり。最初の要塞に入って、要塞の中の塔に上り、次の要塞を見る。

2371

第1の要塞グアイタから、第2の要塞フラッタを望む。ちょっと他の町には無い雄大な眺め。

2403

今度はフラッタからグアイタを眺める。断崖絶壁の上に町がある事がよくわかる。イタリアの小都市というと、小高い丘の上にグルッと円形に城壁があって、その中に町があるというのが多いのですが、ここは小高い丘どころじゃない。天然の要塞ですな。

昼ご飯にピアディーノ(薄く焼いたパンに具を挟んだエミリア・ロマーニャ名物)を食べました。売ってた店はグアイタ要塞の近くにある、「ニード・ディ・ファルコ」という名前でした。ハヤブサの巣と言う意味。正に崖に作られたハヤブサの巣のようで良い名前。

14:15にサンマリノを出て、15:10にリミニに到着。15:30にリミニを出て16:20にファエンツァに到着。フィレンツェ行きの電車がしばらく無いので、ついでに町を散策。友達が「ファエンツァも良いよ。」と言ってたっけな。

2542

ファエンツァのドゥオーモ広場。成程、良い感じ。いかにも穏やかな昼下がりって感じですね。ちょっとビールが飲みたくなったりして・・・。

ファエンツァは陶器の博物館も有名なんだけど、午前中しか開いてないのです。残念。後で陶磁器絵付け職人の古川さんに「ファエンツァに行ったけど、博物館には行ってない。」事を言ったら「何でですか?勿体ない!!」と言われた。まあ、ファエンツァ自体がついでに寄ったしな。機会があれば、また行ってみよう。

夕食はおなじみのベルコーレさんで。これで最後ですね。合計4回行きました。ま、充分かな。

2585

前菜のタルタルステーキ。これがもお、絶品!実はこの日は疲れてたから外食するのやめようと思ったんだけど、これを食べてないのを思い出したので。昨年、初めて食べて、あまりの美味さに、後で友達と食事した時に(半ば無理矢理)勧めたぐらいなのです。

2586

プリモはカリカリに焼いた肉とアスパラを乗せた、パルメザンチーズのリゾット。これも美味しかったなあ。

2588

流石にセコンドまで食べるのは無理なのでデザート。クリームブリュレと果物。ベルコーレはデザートも時々変わるけど、このクリームブリュレとお米のプディングは定番。写真は撮らなかったけどお米のプディングも今回食べてます。・・・ああっ!そういえば3月17日にマエストロと合同誕生日会の時に、シェフのリョウコ先生が紅茶のケーキを焼いてくれたんだった!忘れてました。これも美味しかった!

良い感じに酔っぱらって下宿に帰って、4時間程寝た後、2時間ほど切り絵の制作をしてました。4時間も寝たらアルコールは抜けるもんだな。もう後1日しか無いので、けっこうギリギリの状態で制作してましたね。

ともあれ、エミリア・ロマーニャ紀行は完結。出来ればサン・マリノの乗り換えだけに降りたリミニも観光したかったが(海水浴の町って認識しかなかったけど、ローマ時代の遺跡もあるんだよね。)秋の三越の展示に向けての材料としては充分かな。ラヴェンナ、フェッラーラ、ボローニャ、パルマ、ピアチェンツァ、マラネッロ、モデナ、サン・マリノ、ファエンツァ。9都市も回りました。

ここ数年、初めて行った場所って、ほとんど無かったんです。2006年にトリノ、オルタ湖、クアルナ・ソット、2008年にクレモナ、オトラント ・・・それぐらいですね。後は何年か前に一度行った場所に、改めて写真を撮りに行くだけ。上記の町でもクレモナ以外は友達が連れて行ってくれたので、今回の滞在は久々に自分で計画して初めての場所に行きましたね。

数えてみると28日間の滞在中、13日フィレンツェの外に出てました。残りの15日で職人さんや友人と会ったり、工房を取材したりしました。充実した滞在でしたな。しかし疲れた。後もう1日で日本に帰国です。

| | コメント (2)

2012年5月 4日 (金)

モデナ

さて、3月27日(火)の後半。マラネッロのフェラーリ博物館を見学して、お昼ご飯を食べた後はモデナに戻り、モデナの町を見学。

2138

まずはバスターミナルの近くのエステンセ美術館から。写真の建物はムゼイ宮殿と言います。ムゼイって博物館の複数形の意味。つまりこの建物の中にいくつかの博物館が入っています。その中の一つがエステンセ美術館。エステンセと言うのはエステ家のという意味。エステ家って、前にもブログに書いたけど、フェラーラを治めていた領主ですね。13世紀後半より、モデナはエステ家に支配されていたのです。1598年にはフェラーラを追われて、この地に逃げ延び、以来エステ公国の首都となったそうです。と言う訳で、この美術館にはエステ家が収集したコレクションを中心に展示されています。

美術館の中は撮影禁止でした。ウッフィッツィ程の規模ではないけど、なかなか見応えのある美術館でしたね。ここに収蔵されている作品、ほとんど知らないものばかりだったんですが、たくさん展示してる絵画で「良いな、これ。」と思ったのは超有名な芸術家の作品でした。ボッティチェリは流石に特徴的だからすぐにわかったけど(画集では見た事がない作品でした。)グイド・レーニやティントレット、ベラスケス等。やっぱりメジャーどころの作品って並べてあっても目立つみたいですね。・・・それとも私の見る目が肥えて来てるせいだろうか?ともあれ、堪能しました。

2152

モデナのドゥオーモです。屋根の向こうに見えてる塔は「ラ・ギルランディーナ」と言います。高さは88m。日曜日しか登れないそうです。高い所は嫌いだけど、登れないとなると悔しい。

2161

ドゥオーモの脇にあるグランデ広場。右側は市庁舎です。ドゥオーモの側面、工事中でした。工事してなければねえ・・・。きれいなんだろうけどねえ・・・。残念。ちなみにこの広場とドゥオーモ、鐘楼は世界遺産として登録されています。

夕方にフィレンツェに戻った。フェラーリ博物館、モデナの町と充実した取材でした。

この日の昼食は控え目に食べたので、夕食は贅沢してフィレンツェのレオーネ通りにあるエノテカ・バリックという店で。ここは私の下宿の同居人の子がシェフをやってる。滞在中に一度は食べに行かないとと思ってたんだよね。

2195

お店の中の様子。オーナーと料理人2人で切り盛りしてます。私が顔を出したら、同居人の子がビックリしてました。食べに来るとは思ったなかったらしい。

2200

前菜盛り合わせです。同居人の普段のキャラからは想像出来ない程、繊細な料理。(失礼!)

2207

プリモです。カブの花芽のオレッキエッティ。オレッキエッティって耳たぶの形をしたパスタの事。今回の滞在中、いろんな人からご馳走攻めにあってたんだよね。ありがたいんだけど、胃の方が耐えられなくなってまして、食べ過ぎたと思ったら、一食抜いたりしてたんです。で、ここも前菜とパスタで充分と思ってたんですよね。でも、食べ終わったら同居人の子が私のテーブルまで来て「まだ食べます?」って聞かれまして。「お勧めは?」と聞いたら「鴨とか・・・。」と言うので「鴨!!」頼んじゃいました。そもそも、このお店は「エノテカ」っていう名前が示すように、もともとはワインバーなんですね。で、当然ワインも美味しい。この上、鴨なんて聞いたら頼むしかないではありませんか。

2214

ジャジャン♪ 鴨料理です。いやー美味しかった。ちなみに赤ワインをグラスで3杯いただきました。同居人の子は私が全く飲めないと思い込んでたみたいですが、私が景気よく飲み食いしてたのを見て呆れていた。いや確かに初対面の時に「あまり強くないです。」とは言ったけどさ、グラスに3杯ぐらいなら飲めるんですよ。満腹かつ気持ち良く酔っぱらった。来年もまた行こうっと。

| | コメント (0)

2012年5月 3日 (木)

フェラーリ博物館

さて、3月24日(土)の夜にフィレンツェに戻って、25日(日)はフィレンツェで切り絵の制作。下絵を終えて切る作業をしてました。下宿に閉じこもってたわけじゃなくて、散歩したり、ベルコーレさんで昼ご飯を食べたり、友達と一緒にジェラートを食べに行ったりしてました。半分仕事で半分休日って感じの一日。ちなみに25日はサマータイムに切り替わる日です。

26日(月)も所要があってフィレンツェに居ました。滞在もほとんど終わり近いのですが、この日にやっと会いたかった職人さんと会えた。昨年取材させてもらって、イタリアに来る直前に切り絵にした木地師のメスコリさんって方です。何で会えなかったかと言うと、この人が「メスコリさん、仕事止めたって。」と言うので、今回の滞在では会えないかも・・・とあきらめてたんですよね。ところが、この日の朝に会った職人さんが「メスコリだったら、まだ働いてるよ。一昨日、工房に行って来たし。」と言われた。早速、メスコリさんの切り絵の写真とモデルになってくれたお礼の和菓子を持って工房に訪ねたら・・・いました。どうもメスコリさんが「最近、仕事無いんだ。工房、閉めるかも・・・。」と言ってたのを早とちりしたらしいですね。頼むよ。まあ、挨拶出来て良かったけどね。

27日(火)はエミリア・ロマーニャ巡りを再開。モデナとマラネッロという所にあるフェラーリ博物館に行きました。

フェラーリ!!車を所有する事も運転する事も全く興味は無いのですが、切り絵にするのは大好きです。イタリアの絵っつーと、教会とか市庁舎ばかり描く事になるんだよね。教会も市庁舎も好きですけど、そればっか作ってると飽きるので、良さそうなモチーフがあると嬉しくなちゃいます。

フィレンツェからはボローニャを通ってモデナへ。駅の近くのバスターミナルから、フェラーリ博物館のあるマラネッロという所に行くバスに乗りました。

1時間程でフェラーリ博物館の前に到着。一緒に降りた女の人がフェラーリ博物館の前まで一緒に行ってくれた。・・・と思ったら、そこで働いてる人でした。後でお昼ご飯に博物館の横にあるレストランに入ってピザを頼んだら、その女の人が働いてました。無愛想な感じの人でしたが「楽しかった?」と聞いてくれた。「勿論!」

2127

フェラーリ博物館です。残念ながら逆光なのでわかりにくいですが、フェラーリレッドで塗られています。・・・このフェラーリレッドって名前が良いですね。圧倒的なパワーとスピード、極限まで計算された機能性、自らが生み出した物に対する誇り、そして勝利。全てが込められた、正にフェラーリを象徴する色とその名前。

2009

これが最初に展示されてる、フェラーリ500F2。1952年、1953年と世界選手権を連覇したマシン。今年と来年は優勝してから60周年になるので、展示室の最初に置かれているわけですね。

2018

フェラーリ512m。・・・良いねえ。いかにも「スーパーカー」って感じ。小学校の時にはまったっけなあ。1971年製造だから、私と同じ歳ですか。

2069

一番奥にある「勝利のホール」。1999年から2008年までタイトルを獲得したマシンが展示されています。・・・圧倒的な迫力ですね。壮観な眺めだ。

2130

ミュージアムショップでミニカーを買いました♪・・・でも中国製だったので若干ガッカリした。ま、いいんだけどね。どうせならタミヤ模型から出てる超精密なプラモデルが欲しくなっちゃいますね。フェラーリの設計部の人すら驚愕したという、素晴らしい出来のやつ。(文春文庫の「田宮模型の仕事」にそんな話が書いてあったと思う。)でも、プラモ作るような時間無いんだよなあ・・・。

2133

博物館近くにあるフェラーリ本社。オーナーだと中も見学出来るそうです。・・・プラモデルと言わず、本物が欲しくなって来たりして。門の前に赤いつなぎを着た糸たちがいるけど、これが制服なんでしょうね。ちょっと誇らしげで格好良いな。・・・えーっと、このつなぎも欲しくなっちゃいますね。こうなると何でもかんでも欲しくなっちゃいますね。ミュージーアムショップで制服も売ってるんだけどさ。あまりににわかファンなので、買うのは恥ずかしいかなって。

と言う訳で、男のロマンをたっぷりと堪能して来ました。さあ、頑張ってフェラーリの切り絵を作ろう!今年の名古屋三越で発表だ!!

| | コメント (3)

2012年5月 1日 (火)

リヴァプール

イギリス2日目。昨年来たときはマンチェスターを回ったので、今年は近くにあるリヴァプールへ連れて行ってもらいました。マンチェスター・ピカデリー駅から電車で1時間。電車のクッションがやけに良くて、出発して5分ぐらいに「マンチェスターも郊外は工業地帯なんですねえ。」と舘岡君に言ったのは覚えてるんですが、その直後に2人とも寝てしまったようで、目が覚めたらリヴァプールでした。「えっ!もう着いたの!?」「何か・・・すごく早く着いたような気が・・・。」って感じでした。

1885

まずはリヴァプールの大聖堂を目指して歩く。これは、その途中にあった廃教会。屋根が無いんです。廃教会と言うと、トスカーナのサン・ガルガノ教会を思い出すけど、あれは18世紀に屋根が崩れて、それ以降は風化したような教会だけど、こちらは第2次大戦で爆撃があって屋根が無くなったので、サン・ガルガノに比べると新しい感じ。外観は屋根さえつければ普通に使えそうですね。市民から再建の募金をしてるみたいで、壁に張り紙がしてあったな。

1892_2

これがリヴァプールの大聖堂。午前中なので靄がかかってます。イギリスでは最大の大きさの教会だそうです。しかし、どうも威圧的な雰囲気ですな。教会と言うよりも要塞に見える。

1896

大聖堂の入口の上に置かれている銅像。舘岡君が「嫌な感じの銅像」と言ってたけど、確かに近寄りがたい感じだ。内部は豪奢で良い感じでしたが、驚いたのは教会の中に本屋さんと喫茶店とトイレが併設されている事。イタリアの教会では考えられない。市民の憩いの場になってるんだなあ。あと、写真は撮れなかったけど、中に居た僧侶がハリーポッターみたいなコスチュームを着てた。装飾が施された杖なんかも持ってたし、左右に僧侶を従えて歩いてる僧侶もいました。(当然、服装が違って、より偉そうな感じでした。)でも意外と気さくで、明らかに観光客の私たちにも会釈してくれたり・・・。イギリス国教会もなかなか面白いですね。

イギリス国教会・・・ほぼイタリアだけに関わっているので、あまり聞き慣れないですねえ。教義的にはカトリックと共通している所も多いのですが、16世紀に政治上の問題でカトリックから離れたんだそうです。だから教会の首長はローマ法王ではなく、イギリスの統治者が首長を兼ねているんだそうです。19~20世紀にかけてのアイルランドからの移民や、近年のポーランド人移民の増加に連れて、カトリックも増えているそうですが、やはりカトリックは少数派。17~18世紀はカトリック教徒だと、まともな職にはつけなかったと云います。

リヴァプールには比較的カトリック教徒が多いみたいで、住民の4割がカトリック教徒。で、こちらがカトリックのメトロポリタン大聖堂。リヴァプールには2つも大聖堂があるという事ですね。

1895

・・・なんと言うか、教会としては前衛的。コンクリート造りで、これが科学博物館なんかだと納得出来るんだけど、ちょっと教会には見えませんねえ。

1911_2

これが教会の内部。ステンドグラスで装飾されて、綺麗なんだけど・・・。どうも、こういうのは初めて見るので、イタリアの教会とのあまりの違いに呆然としてしまいますね。円形の建物なので、中央で祭祀を行い、周囲を囲んだ椅子に信者が座るんだけど、この雰囲気だと地下から舞台がせり上がって音楽と共に司祭が登場しそう。・・・新興宗教みたいですね。

さて、お昼ご飯は港の方に移動して、フィッシュ&チップスを食べました。

1921

ドカーンとでっかいハドックのフライ!ハドックと言うのはヨーロッパで捕れるモンツキダラの事。レモンを絞って食べる。付け合せはグリーンピースのマッシュ。美味しかったけど、量が多かったので苦しかった・・・。港の風に吹かれて食べるのは気持ち良かったな。

そうそう。昨年マンチェスターに来たのは4月で「花は咲き誇り、緑あふれて、とても美しいイギリス!」と思ったけど、舘岡君に言わせると、偶々私が来る1週間ぐらい前にやっと春になったそうで、冬は本当に陰鬱で気分が暗くなるぐらい寒いのだそうです。で、今回は昨年よりも1ヶ月早く来てるので、さぞ寒かろうと思ってたら、意外と暖かい。流石に昨年ほど花も緑も無いけど、梅の花なんかは咲いてるので、別にそこまで陰鬱な雰囲気でもなかったです。舘岡君に聞いてみると、今年の冬はそれほど寒くなかったそうです。・・・って、イタリアは滅茶苦茶寒かったそうで、フィレンツェでも雪は積もったし、日曜日でもあまりの寒さに皆外出したくなかったようで、町中もシーンとしてたって。イギリスなんかイタリアよりも北にあるから、さぞ寒いだろうと思ってたけど、そういうものでもないのかと、ちょっとショック。

さて、ここからはビートルズの音楽を聴きながら読むと気分が出るかも。なにしろリヴァプールっていうとビートルズのメンバーの出身地ですからね。ここは行かなきゃ駄目でしょうって事で。

1924

ビートルズ・ストーリーという資料館です。ビートルズが当時ライブを行った場所や、アルバムを録音したスタジオが再現されて、展示されている写真を見ながらビートルズ誕生から解散までのストーリーを追う事が出来る。 日本語の音声ガイドも貸してくれます。

1928

ビートルズが292回も出演したクラブ・キャバーンの再現。ビートルズとして活動していたのは8年と、意外と短かったんですね。でも、その音楽は未だに古さを感じない。・・・なかなか勉強になりましたね。何だかNHKBSアーカイブスを見たような気分。ミュージーアムショップではTシャツを2枚買って来ました。あれから1ヶ月経ったけど、まだビートルズがマイブームで、制作しながら時々CD聴いてます。

ビートルズ・ストーリーはアルバート・ドックという昔の造船所を商業施設に改装した所の一角にあって、他にも海洋博物館やテートギャラリー、レストランなどが入ってます。ビートルズ以外も見たかったですが、また次の機会に・・・。

1930

これは水陸両用車です。リヴァプールの町中で走ってるのを見ました。船にタイヤが付いたような感じですね。この後水の中に入って港の中を遊覧する。

1941

で、その後はマシューストリートに移動。キャバーンのある通りですね。このクラブ、まだ健在なんですねえ。中には入らなかったけど、ジョンレノンの銅像があったので一緒にパチリ。・・・しかし、上に貼ってあるポスター・・・。

お昼に食べ過ぎたので、夕ご飯はスーパーマーケットでお惣菜とかサンドイッチを買って舘岡君の家で食べました。

3日目は舘岡君は仕事で、私はイタリアに戻る。マンチェスターを出発するのはお昼なので、ちょっと時間があったのでマンチェスターの町中をぶらぶらする。運良く、ピカデリー公園で屋台が出てたので、昼ご飯の調達。なかなか興味深い物も売ってましたが、吟味してマンチェスターエッグとハンバーガーをテイクアウトしました。

1949

これがマンチェスターエッグ。一口かじってみました。ゆで卵をハンバーグで包んであります。ウスターソースの味がしたし、酸味もあったのでビネガーも入ってるかな。こういうのはスコッチエッグと言うのですが、マンチェスターエッグはどう違うのか?後で調べてみたけど、黒プディングで作ってあるそうですね。黒プディングというのは血を混ぜたソーセージの事です。ゆで卵も何かに漬け込んであるそうですが、食べた時は気が付かなかったな。うーん・・・イタリアだと店の人に質問するんだけどね。英語力が低いので残念。

1950

こちらはハンバーガー。バンズにハンバーグとタマネギの炒めたのが挟んであります。・・・ハンバーグばっか食べてるなあ。ハンバーガーなんて、ありふれてると思いましたが、プラムで作ったケチャップで味付けしてあります。それは珍しい。食べてみると甘酸っぱくて、爽やかな風味。

どちらも美味しかったけど、空港で飛行機を待ってる間に食べたので、ちょっと冷めちゃってるんですよね。出来れば熱々を食べたかったな。

ともあれ、今回のイギリス旅行も楽しかったです。舘岡君に感謝ですね。

| | コメント (4)

2012年4月30日 (月)

マンチェスターへ!

昨年のイタリア滞在では、イギリスのマンチェスターへ行きました。ネットで知り合った友人が住んでいて、良かったら遊びに来て下さいと誘ってもらったんです。昨年の滞在は4月で旅行するには丁度良い季節。友人にも親切にしてもらったし、不味いと評判のイギリス料理も意外と美味しかったので、すごく楽しい思い出になりました。だから今年も遊びに行って来ました。・・・って、これじゃイタリア滞在記にならないな。

ともあれ3月22日(木)はマンチェスターへ出発。空港から電車でピカデリー駅へ移動。10分程待ってたら友人の舘岡孝君が迎えに来てくれました。舘岡君は人形アニメーションを作る会社で原型を作る仕事をしています。実はこの日は私の誕生日でした。舘岡君に言ったら「え~っ!!俺なんかと一緒で良いんですか~?」って感じでしたが、楽しく騒げれば良いのだ。

って事で、パブへGO!舘岡君が「イギリス料理を出す良い店を見つけたんですよ!」と言うので行ってみたら去年も食べに来た所でした。「いや・・・ここ去年も来てるよ。あのウエイターの女の子、覚えてるもん。あの子、居たじゃん去年も。」「あ、あれれ・・・。」って感じで。お客さんが来るたびに連れてってるみたいなので、一緒に来た事を忘れてたみたいですね。まあ、それだけ美味しい店って事なので私としては異存は無い。

1864

舘岡君と。昨年は私はローストビーフとヨークシャープディング、舘岡君はチーズバーガーでした。ピアノの生演奏があったっけな。「去年はそこのテーブルだった。」と、ここまで言ったら「思い出した!!」と言われた。

以下は「切り絵師・俊寛、マンチェスターを喰らう」のコーナーです。すっかり「~を喰らう」って言い方が定着しましたねえ。皆さんも使ってみよう!

まず前菜は私がホワイトバイトのフライとチップス。ホワイトバイトは白魚ですね。正確な種類まではわからなかったけど、ワカサギみたいな感じでした。チップスはポテトフライの事。カリッとあがってて美味しかった~。

1862

こちらは舘岡君が頼んだホタテの貝柱のソテー。ちょっと貰ったけど、これも美味しい。

1863

メインに頼んだ、オープンシェパーズパイ。パイと言うから、パイ生地に入ってると思ってたけど、ご覧の通り。マッシュポテトと羊の挽肉を炒めたもの。後で調べたら、シェパーズパイはマッシュポテトの中に挽肉を入れてオーブンで焼く料理だそうです。「オープン」と頭に付いてるので、生地から具を出してあるという事ですね。成程。

1865

こちらは舘岡君が頼んだサーロインステーキ。グレービーソースをかけて食べる。ちょっと貰ったけど、肉汁たっぷりで滅茶苦茶美味しい!!シェパーズパイも悪くないけど、見た目が寂しいのが残念かな。

1866

・・・ステーキにすべきだったかな。でもシェパーズパイなんて珍しい料理を食べれたので満足です。食べた事の無い料理って気になるからね。

舘岡君に「イギリス料理は気に入りました?」と聞かれたので、力強く「気に入りました!!」と返事しました。ワハハと笑われましたけどね。まあ、料理が美味しいと評判のイタリアから、料理が不味いと評判のイギリスに来てるので、どうなんだろうって感じですけど。イタリア滞在も後半戦で、ちょっと飽きてきたのもあったし、実際イギリス料理は美味しかった。そう言えば、今回の滞在で同居してた料理人の子も「最近のイギリス料理は頑張ってますよ。」と言ってたな。良い事だ。

誕生日だったので、舘岡君にご馳走してもらいました。ご馳走様でした♪楽しかった~。

| | コメント (0)

2012年4月29日 (日)

パルマとピアチェンツァ

エミリア・ロマーニャ紀行も後半戦です。すでに3月21日(水)。この辺になるとスケジュールがビッシリ詰まってます。前の晩は友人達とお食事会で食べ過ぎちゃいました。基本的には夜に友達と食事する事が多いので、昼は控え目なんですけど、パルマっつーとパルメザンチーズと生ハムで有名な土地。やっぱりちゃんとしたレストランで食べたいよねえって事で頑張って食べて来ました。

・・・っと、その前に風景の取材。パルマはイタリアに住み始めた直後に友達に誘われて生ハムを食べに来た事が一度だけあります。ですが、その時は学校が終わってから電車に乗ったので、食べに行っただけで町はほとんど見てないんです。だから実質は初めて行く場所ですね。

で、食文化についての切り絵も作りたいので、チーズや生ハムを売ってる店なんかも見てみますかって事で、「地球の歩き方」には町外れのサンタクローチェ広場の近くにチーズの店が7軒ぐらい軒を連ねてるとあるので、ツーリストインフォメーションで地図を手に入れて、サンタクローチェ広場へGO!!

さて歩くとけっこう時間がかかったのですが、チーズの店なんてどこにも見当たらない。仕方ないので情報収集の為にバールに入ってコーヒーを飲んで、バールの女の子に聞いてみたら「あれは、もう無いわよ。」って返事。川の近くに市場があって、地下にチーズ屋さんがあるとの事でした。やれやれ。川の近くって町の中心部のすぐ傍で、サンタクローチェ広場まで来る必要無かったんだ。

しかし、市場に行って地下のチーズ売り場も見てみたんですが、これがスーパーマーケットみたいで全く絵にはならない。まあ、食品売り場だから絵にならなくても文句は言えませんけどね。ここまででパルマに着いて1時間半過ぎちゃってます。仕方ないので近くをうろついて、良さそうな店に入って32か月熟成のチーズを買いました。

・・・って買い物が目的じゃなかったんでした。一応、写真も撮りましたけどね。ちょっと準備不足って感じの写真になってしまいました。ちょっと切り絵にしにくいかも。余裕を持って挑まなきゃいけませんね。

1684

その後はドゥオーモと洗礼堂に行きました。

1715

こちらがドゥオーモ。鐘楼は修復中。お昼時なので、人がいなくて静かでした。

1716

こちらは洗礼堂。ドゥオーモ広場の端からでは近過ぎて、ドゥオーモと洗礼堂を一緒に取る事は無理でした。切り絵にする時は一つの画面に収めようかな。

さて、お待ちかねの昼ご飯です!地球の歩き方に載ってたコリエーリという店に行きました。前菜とプリモだけで良いかと思ってたら、給仕さんが勧めるのでもう1品前菜を頼んじゃいました。

1739

まずは定番の生ハム。やっぱパルマと言ったらこれを食べなきゃ。15年前に来た時(店は違うと思う)に初めて生ハムを食べて「うん。実に力強い味だね。」なんて、漫画の美味しんぼみたいな感想を口にしたっけ。ああ恥ずかしい。若気の至りですね。

1738

生ハムと一緒に来たもう一つの前菜。トルタ・フリット(ケーキのフライの意味)塩気のあるふわっとした生地で中は中空。だから何とか食べれたけど、まだこの後も料理が来るんだよね。

1745

トルテッリと言うパスタです。中身はハムとリコッタチーズが入ってます。これにパルメザンチーズのすりおろしをかけて食べます。ほとんど限界だったけど、何とか完食。もうこれ以上入らない。

お腹一杯で歩きたくなかったけど、町をちょっとぶらついた後、ピアチェンツァへ移動。パルマからは1時間弱。ここは前にクレモナにヴァイオリン職人の工房の取材に行った帰りに、電車の乗り換えで降りた事がある。駅前のフードコートみたいな所に入ってパニーノを買っただけだったので、観光するのは初めて。

1795_2

これがピアチェンツァのドゥオーモ。閉まってたので中が見学出来なかった。残念。

1848

こちらは市庁舎。写真には写ってないけど、左右に騎馬像を2つ従えてます。ドゥオーモが割と質実剛健な印象に対して、こちらは優雅ですな。

夕方にはピアチェンツァを発ってフィレンツェに4時間近くかけて戻りました。この日は夕ご飯抜き。やっぱり昼ご飯を食べ過ぎたようで、お腹空かなかった・・・。

| | コメント (0)

2012年4月28日 (土)

滞在中から制作してた作品

3月のイタリア滞在中も下宿で制作してました。1点でも多く新作を出したいですからね。と言っても、時間を考えてもエアブラシを使う作業までは出来ないので、下絵と切る作業までを滞在中にやりました。

だいたいイタリアの家ってのはキッチン以外は照明が暗いんです。私が借りてた部屋も作業が出来る程明るくなかったので、市場で売ってた安いライトを買いました。

ライトを買った日の夜は酒を飲んで帰ったので、作業はしなかったんですけどね。でも寝る時に日本から持ち込んだ本でも読みながらノンビリするかなって事で、買ったばかりのライトをパチッと付けて、ベッドに寝転んだ。最近はゆっくり本を読む暇も無かったので、あ~幸せと思ったんだよね。

その瞬間、電球がパンッ!!って音がして、部屋は真っ暗。ええっ!?と思ってライトのスイッチをいじったけど明かりは点かず。自室のスイッチとか、キッチン、トイレのスイッチもいじってみたけど真っ暗なまま。どうやらブレーカーが落ちたみたいで、私の部屋だけでなく、家全部が真っ暗になった。下宿の同居人は料理人で、いつも帰りは遅いので、家には私一人。ブレーカーがどこにあるのかわからん。

・・・まあ、良いか。気持ち良く酔ってるし。ブレーカー探すのも面倒くさい。寝ちゃおう。

と言う訳で寝てたんですけどね。その内、同居人が友達を連れて帰って来たけど、「あれ?」とか言って、スイッチをカチャカチャいじってたのが聞こえた。「す・・・すまねえ。」と心の中で笑いながら詫びて眠りについた。いや、私のせいだってのはわかってるんですけどね。どうも笑えて来てしまって。

翌朝、起きたらキッチンで同居人とその友達(前のブログで書いたけど、この子達は卒業旅行でタダで泊まってたんだと。)と顔を合わせた。「すみません。昨夜はうるさかったでしょう?」と言われたけど、「いえいえ。酔っぱらって寝てたので全く気が付きませんでした。それよりも昨日、家を真っ暗にしたのは私です。すみません。」と頭下げて謝りました。まさかさ、40wの電球を点けただけでブレーカーが落ちるとは思わなかったんだってば。

後でブロンズ職人のドゥッチョ・バンキさんの所でその話をしたら、そういう話はよくあるとの事で、調べてくれるそうなので、一度下宿に戻ってライトと電球を持って行きました。

新しい電球を付けて試してみたけど、特に問題無し。ライト本体でなく電球が不良品だったみたいですね。よく見ると電球のソケットの部分に小さな穴が開いて、煙が出た跡があった。危ないなあ・・・。

そういう訳で、制作する環境を整えるのにもけっこう時間がかかりまして、制作スタートは3月10日でした。滞在して1週間以上過ぎてましたね。日曜日は職人さんの工房は閉まってるし、足を休ませたかったので、下宿にいて作業してましたけどね。ほとんどの日はお酒を飲む事があっても、帰って2時間ほど仮眠を取ってから夜中に制作してたりしました。

Photo

これが出発前の段階。サイズは50×70cm。名古屋で木地師をやってる大蔵真さんです。木地師と言うのは、ろくろでお椀とかお盆を作る職人さんですね。

2748

下絵を徐々に進めて行く。大蔵さんは50代続いた木地師の家系です。と言っても、直系とかそういう意味ではなく、全国に木地師の末裔は散らばっているそうで、大蔵さんとか小椋さんという苗字の人は木地師の家の出が多いんだそうです。

2839

下絵終了。大蔵真さんの家は元は滋賀県の山奥に一族で住んでいて、木地師を営んでいたそうですが、ほぼ自給自足に近い生活をしていたそうです。

2843

切り始め。私はいつも左上から切って行きます。大蔵真さんの家が名古屋に出て来たのは戦後すぐで、以後ずっと同じ場所で木地師をやっています。

2853

これが帰国の2日前の段階。帰国前日の夜はお食事会で、お酒も控え目。下宿に帰ってから作業を再開。

2856

徹夜で切り終えました。イタリア出発前日も徹夜だったけど、帰国前日も徹夜。睡眠は飛行機に乗ってからで良い。不安だったのは、切り終えると同時に緊張の糸が切れて机に突っ伏して寝ちゃう事。また飛行機に乗り遅れたら、えらいこっちゃ。

出発前に「切る所まではイタリアでやって来る!!」とこのブログ宣言していたので、ギリギリで何とか公約を果たした!まあ、別に出来なかったからと言って、誰も文句は言わないだろうけど、自分が自分に負けるみたいで嫌なんだよね。

で、ここからはイタリア滞在記とは関係無いんだけど、既に作品は完成してるので制作過程を見せて行きます。

2860

帰国したその日にエアブラシを使ってアクリル絵の具の黒を吹き付ける。これで黒い紙を切ったのと同じ状態にします。古新聞に挟んで丸めてスーツケースに入れて持ち帰ったので、傷んでないかと思いましたが大丈夫でした。

2867

着色した紙片を裏側から貼り付けて行きます。いつもはエアブラシで1箇所グラデーションを付けるだけですが、今回は画面にボリュームが欲しいので、アクリル絵の具を筆で厚塗りして油絵のような雰囲気にした紙を貼ります。まだ貼らない場所は新聞紙で包んで保護しておきます。いじってる内に破れちゃうからね。

2876

手前にある物から徐々に貼って行きます。紙の厚みだけで自然な立体感は出ます。大蔵さんが使ってるろくろ、戦後からずっと使ってます。70年近く使い続けている事になるので、ここまで使い込むと命があるみたい。大蔵さんと一緒に一生懸命働いてる感じで、見ていてジーンと来ました。

151b

完成。制作期間は1ヶ月ぐらいかかったかな。イタリアで作業を進めておいて良かったよ。今後の制作ノルマが楽になる。じっくり作り込んだので、充実した時間を過ごせました。完成したのは1週間ぐらい前でして、今は別の作品に取り掛かってます。写真をA4サイズにプリントして大蔵さんに送ったら、丁寧なお礼状を貰いました。喜んでくれたようで良かった。次も頑張らなきゃね。

| | コメント (2)