2010年5月19日 (水)

ビーニ家の人たちと。

Firenze025

画像の写真は2003年にフィレンツェのコルシーニ庭園の職人展で撮りました。職人展はこの年が初めての参加でした。私の横にいるのは帽子の木型職人のロベルト・ビーニさん。ロベルトさんの横に、彼をモデルに作った切り絵が置かれています。

帽子の木型職人のロベルト・ビーニさんは2005年の夏に亡くなられたのですが、お葬式の後にこの写真が遺品の中から出て来て、興味を持ったロベルトの娘さんが作品を買ってくれました。

その時はロベルトさんの兄のルチアーノさんを通じて話をしたので、ロベルトさんの家族とは会ってなかったんです。

今回の滞在でやっと会うことが出来ました。フィレンツェの隣の市プラートに住んでいるのでルチアーノさんに連れて行ってもらいました。

ロベルトさんの娘のカルロッタさんの家に私の作品が置かれてました。作品と一緒にこの写真も飾られてました。ひょっとしてカルロッタさんに毎朝拝まれてたんじゃないかと思った。いや、拝んでるとしても拝まれてるのは父親のロベルトさんであって、私は無関係なんだけど、何か居心地が悪いですねえ。私、ここにいて良いのでしょうか?って感じで・・・。

その後、近所に住んでるカルロッタさんのお姉さん一家とお母さんも加わって夕御飯をご馳走になり、カルロッタさんのお姉さんの子供達(つまりロベルトさんの孫ですね。)とトランプして帰って来ました。何か、法事に親戚が集まってて、私も同席させてもらったような、そんな感じでしたねえ。

3代続いたビーニ工房も後継者がいないので歴史に幕を閉じました。ルチアーノさんも職人を辞めてしまったので、道具類はアフリカの恵まれない人たちの為にボランティアの団体に寄付されたんだそうです。

工房の終焉に立ち会って寂しい気持ちもありましたが、ビーニ家の歴史はまだ続いていくきます。ロベルトさんの孫は一番大きい子でまだ5歳なので、工房が元気だった頃は覚えてないだろうけど、もっと大きくなった時に私の作品を見て自分の家のルーツを感じてくれるかもしれない。「あんた達のお爺ちゃんは凄い職人だったのよ。」ってカルロッタさんが誇らしげに語ってるんでしょうね。一つの家の歴史に関わる事になっちゃいましたね。

考えてみれば不思議な縁で、今回初めて会ったロベルトさんの家族はおろか、ルチアーノさんとさえも、ロベルトさんの亡くなられた後に知り合ってるんですよね。あの作品を作った頃は、こういう場所まで運んでもらえるって想像もしなかったなあ。

多分、これからも多くの人たちが私の前を通り過ぎていく事でしょうね。そして、その度に私は人の想いの深さも背負っていく事になる。切り絵職人として、これほど幸せな事ってあるだろうか?

さて今回で2010年のイタリア滞在記も終わりです。レポート書くのに1ヶ月半もかかっちゃいました。いろんな経験を積んで来たので、ますます頑張って制作して行きます。今後とも切り絵師・俊寛をどうぞよろしく!

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2010年5月12日 (水)

リストランテ・ベルコーレ。

やれやれ、また間が空いちゃいましたね。皆様、ゴールデン・ウィークはいかがお過ごしだったでしょうか?私の方は相変わらず制作していましたが、4月末で1点完成したので、5月に入ってからは新作に取り掛かり、比較的ノンビリと下絵をやってました。(そうは言っても一日10時間以上は制作に費やしてましたが。)世間が祝日だと、なんとなく気分的に余裕が出るものですな。

それは兎も角、未だに今年のイタリア滞在記が終ってないので、いい加減まとめなきゃいけませんねえ。

さて、イタリア滞在ではいろんな職人さん以外にもいろんな人と会いました。それぞれに良い思い出が出来て、私としても励みになったのですが、出発前から会うのを楽しみにしてた人というとこの人ですかね。

このブログをいつも読んでくれてる方にはおなじみの人で、今更紹介するのも何ですけど、実は会うのは初めてだったりするのです。

サスライシェフこと古畑圭一郎さんは以前働いていたレストランでミシュランの星を取ったほどの腕前。現在はフィレンツェのベルコーレという店で料理長をやってます。

このベルコーレには友人のフィレンツェモザイク作家、北原好恵さんがウエイトレスをやっているので、その流れで私と古畑さんは互いのブログにコメントを付け合う間柄になったのです。段々エスカレートしていって、対決をするようになりましたが。(古畑さんがカボチャでミケランジェロのピエタを彫刻したのに張り合って、私が切り絵でピエタを作ったなんて事もあったのです。)

と言う訳で、フィレンツェに着いて早々、ベルコーレに食べに行きまして、やっと古畑さんとご対面でした。挨拶をして握手をしていたら、横で北原さんが笑い転げていた。彼女にしてみれば珍獣が2匹顔を合わせているように見えたんだろうなと。

実際に会う前から友達兼ライバルのようなもんでしたが、一時休戦で古畑さんの料理を堪能して来ました。画像は北原さんのブログから勝手に。(すみませんね!)拝借したものです。上がプリモです。

Belcore_p

左上「リードボーとアスパラガスのリゾット」、右上「リバレーゼ風マグロのラザーニャ、レタスとアンチョビソース」 左下「キタッラスパゲティ、エイヒレとフェンネルにトーストしたパン粉を散らして」右下「全粒粉のマルタリアーティ、チキンのラグーとちりめんキャベツ」

下の画像がセコンドです。

Belcore_s

左上が「ミント風味のオマール海老のソテー、スイートガーリックのソースと白ワインでソテーしたトリッパ」右上が「鳩のローストとパンペパートソース、フレッシュタイムとアーティチョークのソテー」左下が「花椒をまぶしたラムチョップ、野菜のマリネ」右下が「本日のお魚の蒸し焼き、ソラマメとトマトのマリネ」でした。

・・・ああ。んまそう!何か書いてて思い出して来たな。常日頃、イタリア在住の友達が「こんなのを食べました!」って類の記事を読まされる度に悔しい思いを味わってたので、日頃の鬱憤を晴らさんばかりの勢いで何度も食べに通わせてもらいました。

その結果、上の画像の料理の他にも食べてるんです。(丁度、私が行った時にメニューの切り替えがあったので。)この中ではプリモだとエイヒレのキタッラ、セコンドだとオマール海老が好きだったな。

3月22日は私の誕生日だったので、誕生日ケーキまで作ってもらいました。Auguriっておめでとうって意味です。誕生日ケーキなんて久しぶりでしたね。何十年ぶりかしら・・・。

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そんな訳で、これからフィレンツェに行かれる方々、お勧めレストランなので、是非行ってみて下さい。

HPはこちら。

http://www.ristorantebelcore.it/

トップページに日本の国旗があるので、そこから日本語のページに飛べます。「Contatti」と書いてあるところからメールを出せますんで、問い合わせてみて下さい。多分、北原さんが受信するはずですが・・・。ご訪問の際には「俊寛のブログを見て知りました。」と言って下さいね。皆、喜ぶと思いますので。

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2010年5月 5日 (水)

鋳造職人、アンドレア・チェッケレッリ。

690 今回の滞在で取材した職人さんはこれで最後です。合計5人と少なめですが、次回のイタリア行きまでに制作出来そうな数を考えるとこんなもんですか。

ドロドロに溶かした金属を型に流し込み、複製を作る職人さんですね。大変危険な作業なので、フィレンツェの街中では禁止されています。アンドレアさんの工房があるのはフィレンツェ郊外のカレンザーノという所です。公共の交通機関では行けない場所ですが、以前切り絵にしたブロンズ職人のドゥッチョ・バンキさんが「鋳造の工房に行くけど、良かったらどうだい?」と誘ってくれたので、大喜びで同行させてもらいました。

写真を見てわかるように、アンドレアさんはまだ若手です。バンキさんの工房との付き合いもこの3年ぐらい。バンキさんがそれまで使ってた鋳造職人さんが高齢で引退した為、仕事を引き継いでやってもらってるんだそうです。腕は確かな職人さんなので、バンキさんも満足してます。

この作業、かねがね見たいと思ってたので、興奮して写真を撮らせてもらいました。見ていて飽きなかったのですが、バンキさんも仕事があるので一通り写真を撮ったら退散。危険な作業なので、アンドレアさんに話しかけるのは遠慮しましたが、作業をする風景とその場の雰囲気はバッチリと頭に焼き付けました。

鉄と炎は男のロマン

ですね。

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2010年5月 4日 (火)

家具修復職人、レナート・オリバストリ。

051 家具修復の修行をしている友人、望月貴文さんの師匠です。家具の修復職人の切り絵は今までも何人か作って来ましたが、レナートさんは修復と同時にインタルシオと呼ばれる木製象嵌細工もされています。この技術、南イタリアの方では盛んなのですが、フィレンツェではあまり見た事がなく(家具の一部に使われてるのを見た事はあるけど。) 一つの作品としてインタルシオをやってる職人さんは初めて聞きました。2番目の画像が作りかけの作品ですね。

上の画像はインタルシオの技術を使って小さい机の天板を作っている所。幾何学模様で構成されているので、箱根細工とも似てるけど、角材を組み合わせて切断した断面が絵になる(早い話が金太郎飴と同じですね。)箱根細工に対して、インタルシオの場合は厚紙ぐらいの薄さの木の板を切り抜いて貼り合せて表現する。フィレンツェモザイクとも似ているのですが、切り抜いた後の板も、そのまま使って別の作品を作ることも出来るので、同じデザインで色違いの作品を同時に作ることも出来ます。

自然の木の色合いを利用した作品は暖かみがありますね。

レナートさんの息子のダビデ君も最近、インタルシオに興味を持って修行を始めたんだそうです。彼はまだ10代。実は2番目の画像の作品はダビデ君の作。将来が楽しみですね。イタリアでも若手の職人さんが少なくなりつつある状況なので、頑張ってほしいものです。

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2010年5月 3日 (月)

修復家、ガブリエラ・フォルクッチ。

579 だいぶ前に友人でフィレンツェ在住の画家、白井良麿さんテレビに出たのですが、番組内で彼が昔通ってた修復家の工房を訪ねる場面がありました。凄く大きい絵画を修復している所が写ってました。

と言う訳で紹介してもらいました。私が訪ねた時はサン・ロレンツォ教会から依頼された、等身大のキリストの十字架像を修復してました。絵画専門かなと思ってましたが、何でも修復されてるそうです。

画像は修復箇所を洗浄しているところですね。怪我の治療をしているように見えました。

至近距離で貴重な物を見せてもらえて、かなり幸せな気分でしたねえ。

とても気さくな方だし、重要な作品の修復も任されているので腕も良いのでしょう。大勢のお弟子さんも抱えているので、話も理知的でわかりやすく勉強になりました。

帰国後、フィレンツェに住んでた頃からの友人に電話をかけました。彼女は今、岡山で修復の工房をやっているので、ひょっとしたらガブリエラさんの事を知ってるかもと思って。ガブリエラさんの名前を出したら「私の師匠だよ!」と驚かれました。フィレンツェに住んでた頃に通ってたんだそうです。時々は来日されてて、美術学校で特別授業もやってるんだそうです。本当にたくさんの弟子を育てられた方なんですねえ。

ガブリエラさんの切り絵を制作するのは来年になるけど、日本でも楽しみにしてくれる人がいると頑張って作らなきゃって気分になりますね。・・・勿論、職人さん本人も楽しみに待っててくれてるので、気合入れて作るのですが、楽しみにしてくれる人が多くなると励みになりますから。

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2010年5月 2日 (日)

磁器絵付師、ウバルド・パスクァレッティ。

396 今回の滞在中に取材した職人さん2人目。フィレンツェの郊外、セストフィオレンティーノに工房があります。同じ地区にジノリの工場があります。

ウバルドさんは友人の絵付け作家、古川未央子さんの師匠です。古川さんはローマ法王に作品を献上したぐらい実力がある人なので、その師匠と言うとどこまで凄いんだ・・・って感じですね。実際、各国の首脳クラスの御用達になってるようで、度々注文が来るんだそうです。(ベルルスコーニは嫌いだそうですけど・・・。)385画像2が工房に飾ってあった作品。パステルで描いたような柔らかさと色彩の優しさ・・・。筆で描いたとは思えないですね。

寡黙な方なので、あまり話はしなかったのですが、古川さんによるとウバルドさんは優しく控えめ、家族も大切にされてるんだそうです。こういう方を見習わなきゃいけませんな。

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2010年5月 1日 (土)

額縁職人 ヴァレンティナ・セルニッシ。

1272 しばらく制作に集中していたので、ブログの更新が滞ってましたね。気が付けばもう5月だ。3月のイタリア滞在記を書くのに1ヶ月以上かかってしまった。マメにやらなきゃ、いけませんな。

今日からは今回の滞在で取材した職人さんを紹介して行きます。

ヴァレンティナ・セルニッシさんはフィレンツェの駅の裏手、プラート門の近くに工房を構えて、腕利きの額縁職人のお父さんとお姉さんと働いています。実は既にお父さんとお姉さんは切り絵にしてるのです。2004年制作してるんですね。ヴァレンティナさんだけがまだ切り絵にしてなかったのです。

ヴァレンティナのお父さんのマッシミリアーノさんは、あだ名をレオーネと言います。イタリア語でライオンの事ですね。若い頃は金髪が風になびいて、まるでライオンのようだんだそうです。私と知り合った頃は既に髪の毛の方は寂しくなってましたが、雰囲気はまさにライオン。熱血親父って感じです。

最近、工房の名義を娘2人に譲ったそうです。工房の屋号は「レオーネ」になってます。

娘2人もレオーネの血を引いてるだけあって、にぎやかな性格です。

私と知り合った頃は別の場所に工房があったんですけどね。その工房は壁に50年前のアルノ川の洪水の跡がシミになって残ってるぐらい、風格のある工房だったんですが、家賃が払えなくなったので今の場所に引越し。(ちなみに、彼らが引っ越した後に入った土産物屋さんは壁をピンクのペンキで塗りつぶして、金ぴかの物を売るような下品な店になった。)引越した当初は工房も汚れてなくて、絵にならなかったので、ヴァレンティナさんだけ切り絵にする機会を失ってたんです。5年使うと貫禄も出てきたので、そろそろ切り絵にするかなって事で。ただ、実際に制作するのは来年になるけど・・・。

画像は額縁に石膏を塗ってる場面。金箔を貼る前の下地作りですね。

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2010年4月26日 (月)

おそるべし民間療法。

イタリア滞在中で後半は体調が悪かったです。風邪を引いて、治ったらものもらいが出来て、治ったら再び風邪を引いて・・・。2回目の風邪が長引いて、帰国する日まで咳が出てました。体調が悪いのに無理して人に会いに行ったり、写真を撮りに行ってたりしたせいかな。

毎回、イタリアに行く時は薬は持って行くんですけどね。風邪薬とメンソレ、正露丸とこれだけ。風邪薬は早い段階で使い果たしたので、現地の薬局に行って薬を買って飲んでました。しかし効かなかったなあ。日本に戻ったその日に病院に行って薬を貰って来たけど、あれは良く効いた。やっぱりきちんとした処方箋を出してもらわなきゃ駄目ですよね。

さて、前回のブログで書いた、シエナに取材に行った頃はものもらいが出来ちゃって、左目が腫れてました。目薬は持って行ってなかったので、薬局に行ってものもらいの薬を買おうとした時の事。

「ものもらいだと、処方箋が無いと薬を出す事が出来ません。」

と言われました。イタリアでは風邪薬とか花粉症とか、そういった薬は売ってくれるんだけど、「ものもらい」って正確な病名を出されると処方箋が無いと薬を出してもらえないんです。抗生物質なんかも処方箋が無いと駄目。救急病院に行けば無料で診察をしてくれるし、処方箋も出してもらえるんだけど、問題はものすごい長時間待たなきゃいけない事ですね。フィレンツェに住んでた時に2回ばかりお世話になった事があったけど、5時間ぐらい待った事があります。優先度が低いとなかなか診てもらえないんですね。忙しいので、救急病院には行きたくないんです。何か良い方法が無いかと思ってたら、同居人のイタリア人の子がネットで調べてくれました。

「オリーブオイルと水を小匙1杯ずつをかき混ぜて、目の中に入らないように瞼に塗ると治る。」

オリーブオイル?そんなのがものもらいに効くのかと、疑わしかったのですが、この日は日曜日で唯一開いてた駅中の薬局で薬を買えなかった以上、他に手段は無かったので、寝る前にやってみました。

翌日、あきらかに腫れが引いてました。あんな物が効果あるのかと驚いたけど、ともあれ効果がある以上は続けなきゃってわけで、その日からオリーブオイルを塗り続けて5日で完治。オリーブオイルが薬にもなるとは思わなかったな。オリーブオイルソムリエもビックリだよ。

一昨日、オリーブオイルソムリエの仕事をしてる友達から電話がかかって来て、この話をしました。彼女は最近、出産をしたのですが、妊娠中にお腹にオリーブオイルを塗ってたんだそうだ。出産後、妊娠線が消えたんだそうです。だから彼女はオリーブオイルが薬になる事は知ってたんですが、ものもらいに効くのは初めて知ったんだそうです。

別の友人が、ものもらいにはカモミール・ティーのティーパックを使い終わったやつを熱い内に患部に当てると効くって話をしてた。カモミールティーはなんとなく効き目ありそうですね。こうなると民間療法も馬鹿にならないね。

昔、聞いたことがあるけど、イタリアの野生の栗(頭が尖がってるんじゃなくて、潰れたような形をしている。)を皮を剥いて、すり潰してペースト状にして、お尻の穴に塗ると痔が治るという話は聞いた事があります。本当でしょうか?誰かやった事がある人がいたら教えて下さい。

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2010年4月25日 (日)

シエナにも行きました。

1104 フィレンツェから電車・バスで1時間ぐらい行った所にある、シエナにも行きました。フィレンツェ同様に町全体が世界遺産に登録されているので見所も多く、周辺にも魅力的な田舎町が多いし、フィレンツェからのアクセスも便利なので、時々遊びに行ってましたね。

その割りに、あまり写真は撮らなかったので、良い機会だから撮りまくって来ました。実はドゥオーモの写真も正面から撮るのは初めてだったりして。町の外からも奇麗のドゥオーモガ見えるので、そちらはよく写真に撮ったし、切り絵にもしてるんですけどね。改めて見てみると、威風堂々として立派なデザインです。

1139 ドゥオーモの横に付属美術館があるんだけど、この建物はかって新ドゥオーモとして計画されていたものなんだそうだ。(当時のシエナの人は、あれだけ立派なドゥオーモがあるというのに、それ以上どんなのを望んでいたんだろう?)内部にはシエナの美術が展示されてるんだけど、屋上にも出る事が出来て、そこからのシエナのパノラマも良い眺めなんです。画像2はそこから見たカンポ広場とマンジャの塔です。

475 ドゥオーモ付属美術館の後でマンジャの塔にも登ってみました。高さ102m。この日は高い所ばかり登ってますね。まあ、これも制作するための資料だから。画像3はマンジャの塔から見たドゥオーモ。夕方なので、写真が暗いなあ。

この日はフィレンツェに帰ってから、リストランテ・ベルコーレに行きました。フィレンツェモザイクのマエストロの誕生日会だったので。子羊を食べたけど美味しかったなあ。

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2010年4月24日 (土)

グレーヴェ・イン・キャンティ。

606 ミラノの美大での授業をやる前の話ですが、フィレンツェからバスで1時間ぐらいの所にあるグレーヴェ・イン・キャンティという小さい街に写真を撮りに行って来ました。美味しい赤ワインが出来る土地ですね。

すごく小さい街なので、そんなに写真は撮りませんでした。葡萄の収穫の時期だったら話は違うんでしょうけどね。

一通り写真は撮ったので、ジェラートを食べつつ、ブラブラ散歩して(こういうノンビリした生活は日本に戻って制作をしていると考えられないな・・・。)夕方にフィレンツェに戻りました。

帰りも行きと同様にバスで戻ったのですが、キャンティから20分ほど走った岡の上でバスが止まってしまった。どうしたんだと思ってたら、バスは坂道をズルズルと後ろに下がり始めた。車内はほとんどがアメリカ人の学生さんの団体だったようで、こういうハプニングも楽しんでて、にぎやかな声が飛び交ってた。

坂道を折りきった所でバスは止まってしまい、15分ほど過ぎて上客もうんざりし始めた頃、はるか前方から「パープー、パープー・・・。」とサイレンの音。ひょっとして何か状況が変るんじゃないかと乗客は固唾を飲んで見守ったが、近づいて来たのは救急車で、みんなの期待を無視するかのようにバスの横をかすめて走り去った。直後、車内は爆笑の渦。「何だったんだ、今のは・・・。」って感じでしたね。

その後10分ぐらい経って、いきなりバスが動き出した。みんな拍手してたな。しかし、何だってバスが動かなかったんだろう・・・。

結局30分ぐらい遅れでフィレンツェに到着。

・・・これぐらいゆるい方が旅行してて楽なのかもしれんが、どうも気合が入らないねえ。

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