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2013年6月27日 (木)

革細工職人、シモーネ・タッディ

製本職人のラポ・ジャンニーニさんのパートナーの桑田さんとは昔からの友達で、時々メールのやり取りをしてるんですが、ありがたい事に付き合いのある職人さんのリストを作ってくれました。あまり大勢取材しても切り絵にするのは大変なので、とりあえず一人選んで紹介してもらいました。革細工職人のシモーネ・タッディさんです。桑田さんは「えらい気難しい人だ。」と言うから、取材に行く前に私の事を話しておいてもらいました。

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工房の様子です。ダンテの家の近くにあります。1937年創業。お父さんの代から続く工房ですね。古めかしくて、とても感じです。店に入って声をかけたら「ああ、良いよ。好きなだけ撮ってけ。」と言われました。やっぱり、ぶっきら棒な人だ。まあ、敵意とかは感じませんが。・・・嫌だったら取材拒否されますので、ぶっきら棒なのが普通なんでしょうな。

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ホタテガイの形をした革製の箱ですね。宝石なんかを入れます。こてを押し付けて艶出しをしている作業。

ところで、1ヶ月ほど前にBSのフィレンツェ特集でこの方が出て来ました。いきなりだったのでビックリした。コインケースが出来る一連の作業を実演してたんだけど、その時のインタビューにすっごい違和感が・・・。いや、翻訳は全然間違ってないんだけど、字幕がですます調で書いてあるので。テレビ向けに丁寧な口調だったのかもしれないけど、基本的にシモーネさんは「べらんめえ調」で話してる感じなんだよね。

イタリア語でべらんめえ調ってのも変な話なんですが・・・。

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取材の時は仕事以外の話も聞くんですね。趣味とか、子供の頃のあだ名とか。職人さんの人柄を知る手がかりとなるのです。
で、シモーネさんと雑談してて、歳が幾つか聞いたら50歳だって。桑田さんが「うちらと同じような年齢じゃないかな。」と言ってたので、もうちょっと若いかと思ってました。

「そうは見えませんねえ。」と言ったら、

「ったりめえだろ!80歳に見えるってえのか?ああん!?」

みたいな感じで・・・。私の頭の中ではどうしてもこんな風に日本語変換されちゃうんだよなあ。

ちなみに子供の頃のあだ名を聞いたら、

「そうだなあ・・・猊下って呼ばれてたな。」

不信心だから、それを皮肉って言われてたんだそうです。猊下(げいか)ってのは高位聖職者に付ける敬称ですね。

「後はジャッキーって呼ばれた。」

こちらはポケットに手を突っ込んで肩で風を切って歩く姿が西部劇のようだと揶揄されたそうです。

「ははあ。良いあだ名ですねえ。私なんかは短くて呼び易いって理由で苗字があだ名になってました。」と言ったら。

「ハア?そりゃ、おめえ違うだろ!良いか、あだ名ってのはだな、その人の行動とか個性なんかの特別な部分に周りの人が気が付いて、そこから考え出されるのを言うんだろうが!」

・・・怒られてしまいました。シモーネさん曰く、自分は典型的なフィレンツェ人だと言ってました。皮肉屋で理屈っぽい所とか、そりゃそうなんでしょうけど、かなり極端だなと思った。
でも、私はこういう人は好きです。面白い。工房も古色蒼然とした雰囲気で素敵だし、頑張って作らなきゃね。

で、取材を終えて桑田さんに報告しに行きました。「意外と良い人でしたよ。」と言ったら「良い人だっけ、彼?」と首をかしげてました。お~い、桑田さん・・・。

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2013年6月25日 (火)

かつら職人、ゲラルド・フィリストゥルッキ

さて、イタリア滞在記がまだ終わってないので、大急ぎで記事にしましょう。もう6月も末だってのにねえ。

昨年の滞在で取材しそこなった職人さんです。フィレンツェ在住の友達が知り合ったので、紹介してもらおうと思ってたんです。

職人さんにも色々いまして、必ずしも取材させてくれる訳ではないんですね。特にここ10年ぐらいで中国人がコピー商品を作って安く売るから職人工房が潰れてるってのもあって、取材を頼んでもスパイしに来たと思われて追い払われる事も多いのです。私としては協力を頼んでる立場なので、文句は言えないのですが、邪険に扱われるとショックなんですよね。
友達の紹介ってのが一番確実なので、フィリストゥルッキさんの所も楽に取材、出来るなと思ってたんです。しかし友達に頼んだら「一人で行って。」と断られた。えええええ!?

「最近、疎遠だから。」だそうです。何だよ。結局、飛び込み取材と同じじゃん。断られたら嫌だなあ。初対面の時って緊張するんだよなあ。
・・・などと、ブツブツ言いながら、工房のドアを開けました。

「えーっと、私は日本人の芸術家で、イタリアの職人さんをモデルに作品を作っています・・・。」

と、いつものように自己紹介をしたら、

「あっ!君の作品はペンコの所で見た事がある!!」

と言われた。彫金家のパオロ・ペンコ大先生の友達でしたか。話が早くて助かる!パオロ・ペンコ様様ですね。「切り絵を作る為に働いてる所を写真に撮らせてもらいたいのです。」と頼んだら「どうぞ、どうぞ。大歓迎!!」って事でした。ああ、良かった。

さて、かつらと言っても実際には舞台で役者さんが使うかつらですね。工房のすぐ近くにはテアトロ・ヴェルディという劇場があって、そこの誕生と共にフィリストゥルッキ家も仕事を始めたので1700年代に創業されました。フィレンツェの職人の中では最も古くから続いている工房ですね。

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お店の入口横の壁にかかってる家系図。こういうの見たの初めてです。素敵。一番根元に書かれているのが始祖のお名前。アンジェロ・フィリゥトゥルッキ、1720年とあります。上に行くほど新しい世代ですね。「うちらの名前はまだ書いてない。」と、現当主のゲラルトさんが言ってました。

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ゲラルトさんが作っているのは衛兵がかぶる兜の飾り。吹き流しみたいなやつですね。今でも式典なんかで大統領の隣に立ってることもあるので、そちらからの注文なんだそうです。
ちょっと写真が見にくくて何をやってるか分かりづらいですね。実際、指先の動きが速いので、見ていてもどうやって結んでいるのか・・・。

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こちらはゲラルトさんの父上のガブリエレさん。何というか、おしゃれなんだけど独特の雰囲気。容貌魁偉と言うか、ボマルツォの怪物公園(さあ、検索してみましょう)を彷彿とさせる・・・。
さっきから失礼な事を書いてますけど、ご本人はそれをネタにして喜んでるみたい。2階には特殊メイクの部屋があるんだけど、一通り説明してくれた後で・・・

「でな、この顔は特殊メイクなのじゃ!」

と言われて、一瞬ぎょっとしました。んな訳ないだろと高笑い。良いですねえ、こういう親父さん。格好良い~!!しびれる!!

2階には特殊メイクに使うゴムマスクを作っています。血まみれの生首なんかが置いてあったりして、けっこうスプラッタ。

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石膏で原型を型どりしてラテックスゴムで作るんですね。で、これに着色する。面白い作業ですが、今回はかつらの方を切り絵にするかな。来年、改めて取材させてもらおう。

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特殊メイクの作業場には、頭の木型が並んでいます。「この木型作ってる職人さんは今はいないんだよね・・・。」と言うので、ひょっとしてと思って、作者名を聞いてみたら、ビーニさんの工房でした。やっぱり!こういう老舗の仕事もやってたので、流石はビーニさんですね。弟のロベルト・ビーニさんは亡くなられて6年。兄のルチアーノ・ビーニさんは完全引退で、工房も無くなっちゃったけど作品は現役で働き続けている。優れた職人さんの作品って残って行くんだよね。思わぬ場所で作品を見かけたりすると、再会したような気分になって嬉しくなります。

フィリストゥルッキ家には300年以上に渡って積み重ねられた職人達の息遣いが今も感じられます。

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2013年6月23日 (日)

Addio maestro

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6月20日の深夜、マエストロことロベルト・マルッチさんが亡くなられました。
訃報を聞いて、しばし呆然。フィレンツェにこの方が居なくなった事が信じられません。
年配の方をモデルに切り絵を作ってるから、毎年誰かは亡くなってるんですけど、まさかマエストロが亡くなられる事になるとは・・・。
2年前にマエストロの友人でもあるモザイク職人のトラベルサーリさん(この方も切り絵にしてます)が急死された時は、不安に駆られたらしく周囲の人達に「死にたくない・・・。」と訴えてたんだそうです。しまいには皆、ウンザリして「死にゃせんわ!!」と半分笑われてたような感じでした。私も長生きするよと思ってたのですが・・・。

どうもねえ・・・。マエストロというと微苦笑を伴うエピソードばかりで。本永景子さん、yossyさん、リトアナと、工房の3人娘達とバトルを繰り広げるのさえ微笑ましいと言うか、見ていて面白かったですねえ。本人達は本気で大ゲンカになってたので、面白くも何ともなかったみたいですが。

結局、最後の最後まで皆をお騒がせして逝ってしまった。まあ、それもマエストロらしいのかもしれませんね。大勢の職人さんと知り合ったけど、この人ほど変な人は居なかったなあ。

・・・でも、他の職人さんの事を敬称付きでマエストロ〇〇と呼ぶ事はありますけど、単に「マエストロ」って呼ぶことの出来る人ってこの人だけですね。
Sei un vero maestro.(貴方は真のマエストロですよ。)
・・・なんて言うと、大喜びで「聞いたか、ケイコ?今のシュンカンの言葉!!」とか言って益々図に乗っちゃったりして、景子さんは半分ぐらい渋い顔に・・・。

てな感じですが景子さんもマエストロの事はとても大事にしてて、日本で個展出来ないか考えてらしたんです。半年ほど前にフェイスブックでチャットしてたら、いきなりそんな事を言いだしたからビックリした。だって、あんなでっかい子供みたいな、取扱いの難しい人を日本に連れて来て、誰がお世話すんのよ?
「血迷ったかと言われそうですけど・・・。」と、それが暴挙だって事は景子さんも自覚してたみたいですが・・・。この前の滞在で工房に遊びに行った時も、ギリギリまで経費を削って、いくらかかるのかって計算してみたり。
「何だかんだ言ってもマエストロを大事にしてますねえ。」と言ったら、「いや、そういうわけでもないんだけどな。う~ん・・・。」って顔をしてました。

画像は2008年制作。75×65cm。タイトルは「マエストロ!」です。当時はまだ工房に入りたてだったリトアナを指導してる場面ですね。
作品が出来た後でフィレンツェに行って、工房に遊びに行きました。この時はYossiさんも居ましたな。で、作品の写真をあげようと、リュックを開けて取り出す時に、フッと顔をあげたらマエストロとリトアナとYossyさんの3人が一列に並んで私の事を熱いまなざしで見ている・・・。「何だよ、照れるじゃん。」と言って、写真を渡したんですけどね。
その10分後には3人で大ゲンカになってて、Yossyさんはプリプリ怒りながら「これだから、この人達とはやって行けねえんだよ!!」とヤスリがけをしていた。「まあ、そう怒りなさんなよ。あんた、マエストロの作品が出来た時に自分の事以上に喜んであげてたじゃん。」と言ったら「そりゃ、そうだけどさあ・・・。」と若干トーンダウンした。
ちなみにこの日は景子さんは工房に居なかったんだけど、聞いてみたら「喧嘩して怒って帰っちゃった。」だって。・・・この人たち、よく喧嘩になるよね。

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画像は2010年にモザイクを習った時。完成品を持って2人で記念写真。結局、その後は指導してもらう事も無かったな。だから「たくさん居る生徒の内の一人」なんですが、最近は「マエストロのお守り役」ってポジションになってたな。

最後は病気で苦しまれたそうです。あれだけ一生懸命、生きる事に執着してた人が、最後は皆を置いてあちらに行く事を選んだ。
景子さんは「それが彼の意志だから、私たちはそれを尊重しなきゃ。」って言ってた。
「でもさ、あっちにはトラベルサーリもミケ(6年前に死んじゃったマエストロの愛猫)も居るから寂しくないよ。って言うかさ、トラベルサーリと喧嘩になったりして。・・・ヤだなあ。」ってYossyさんが言ってました。・・・容易にその場面が想像出来ちゃうんだよね。

マエストロは居なくなって、工房も閉鎖される。居心地の良い場所でしたね。最近はよくお昼ご飯をご馳走になったっけ。(勿論、ご飯を作ってくれるのは景子さんです。)
フィレンツェの名物が一つ消えてしまいました。寂しくなりますね。でも、いつかは形は違えど、そういう場所を自分でも作れるように頑張ってみます。
マエストロ、どうもありがとうございました。今はどうか安らかに。
そして、最後まで娘役を果たしてくれた景子さん、Yossyさん、リトアナに感謝を。

Addio maestoro. Ora riposati tranquilamente. Ti ringrazio cio che hai fatto.

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2013年6月19日 (水)

額縁職人、ガブリエレ・マゼッリ

イタリア滞在も最後の1週間。ミラノもウンブリア州も写真を撮って来たので、来年の為にリグーリア州にでも行きたかったのですが、残念ながら天気が悪い。リグーリアって言うと海辺の町が多いので、天気が良くないとつまらないんです。仕方ないのでリグーリアはあきらめまして、職人さんの工房の取材に集中する事にしました。

額縁職人のガブリエレ・マゼッリさんです。

昨年の滞在で、兄貴分の彫金家、パオロ・ペンコ大先生に是非、行きなさいと勧めてもらってました。挨拶には行ったのですが、取材は後日改めてという事になったんですね。しかし、結局スケジュールが合わなくて取材出来なかったんです。

今回はバッチリ取材出来ました。ああ、良かった。

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ガブリエレ・マゼッリさん(47歳)。1955年にお父様が開けた工房を受け継いで働いています。

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この時は近所のアイスクリーム屋さんから頼まれた仕事をしてました。店の前の道路に置く巨大な木製のアイスクリームのオブジェ。本業の額縁ではないけど、これも面白い仕事ですね。

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コーンの上に小さいアイスクリームが乗っかってる構成。テープで仮止めしてる段階です。位置が決まったら接着剤でくっ付ける。香木なので、色はこのままにして木地を生かすんだそうです。もうとっくに完成して、お店に置かれてるでしょうね。次にフィレンツェに行く時が楽しみです。いろんな場所に知り合いの作品が置かれてるのって、見てて楽しい。

取材中に奥さんや子供たちも顔を出したので挨拶しました。ご家族を大切にしてる人なんですねえ。話をしてて大変穏やかな方で、仕事もすごく自然体。(一番上の写真に写ってますけど、常に葉巻を吸ってたな。)ゆっくりと時間が流れて行くけど、確実に作業が進んでる。・・・とても良い雰囲気の工房でした。

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工房のそこかしこにピノキオが置かれています。紹介してくれたパオロ・ペンコさんもそうなんですが。彼らは「ピノキオ仲間」だそうで、自分の技術でピノキオを作ってる作家集団なんですね。作家同士でコラボしたり、一緒にイベントをしたりしてます。

ガブリエレさんは勿論、パオロ・ペンコさんも切り絵が出来るのを楽しみにしてます。って言うか、ペンコさんなんて次に顔を合わせたら開口一番で「マゼッリはどうなった?」って聞くでしょうね。で、「まだ出来てないです。」と言えばあからさまにガッカリした顔をしそうだ。・・・取材し過ぎたかもしれんな。次のイタリア行きまでに何点出来るのかしら。

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2013年6月17日 (月)

今年の誕生日会

3月22日は私の誕生日です。最近は3月にイタリアに行く事が多いので、フィレンツェの友人達にお祝いしてもらう事が多いです。で、今年の誕生日ですが、どういう訳か前後の日に友達に招待してもらったので、22日は私は独りで晩御飯を食べてました。まあ、それはそれで良いんですけどね。ベルコーレさんの美味しい食事とワインを楽しんだし。久々に本も読めたし。

誕生日の翌日、3月23日に合同誕生日会を開いてもらいました。何か「合同」って付くと、某宗教団体が主催してるみたいで怪しげですけどね。フィレンツェモザイクのマエストロ、ロベルト・マルッチさんの誕生日が3月20で、私と近いので。これまでにも2回ぐらい合同誕生日会をやってます。いつもはベルコーレさんでやるんですが、今年は工房の卒業生で私とも親しいリトアナが自宅に招いてくれるんだそうです。

いざ、リトアナの家に行ったら、あまりの豪邸に驚いた。マンションの最上階で、フィレンツェの町が綺麗に見える事。日が暮れたら夜景も最高。フィレンツェの町もだけど、反対側のフィエーゾレの丘も奇麗に見えました。こんな所で食事するなんて、すごくロマンチック。旦那さんはお医者さんなのでリッチな生活してるんだなあと。

お料理も最高でした。前菜に出て来たズッキーニとバジリコとペコリーノチーズをドライトマトで巻いた物は絶品!パスタもメインの魚料理もすごく美味しかった。

「リトアナがこんなに料理上手とは知らなかったなあ!」と言ったらガッツポーズしてました。いいやつだ!!

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左から、リトアナ、マエストロ、リトアナのご主人のパオロさん、私です。

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こちらは本永景子さんと。2年前のギャラリー彩さんでの個展で、同じ会期に下の階で個展をしてもらいました。技術力の高い、素晴らしいお仕事をされてます。本永さんは現在でもマエストロの工房に在籍中。工房での立場は「口うるさいけど、いろいろ大問題のマエストロを一生懸命支えてる長女」って所ですね。基本的には仲良い(はず)なんだけど、大喧嘩になる事も多いのです。リトアナは「近くに嫁いだ親孝行な三女」ってとこですか。
では次女は?次女はこの後の文章で出て来ますので・・・。

さて、マエストロですが、先月いきなり体調を崩して倒れたんだそうです。私の所にも早い段階で連絡が来たんですが、一時期は意識不明で危篤状態だったとの事。仲の良い職人さんは大勢いるのですが、この人からは実際にモザイクの手ほどきもしてもらってますので、本当に私のマエストロでもあるんですよね。(もっとも、習う前からマエストロと呼んでましたけど。だって、皆がマエストロと呼ぶから。)1週間ほど、落ち着かない日が続きました。情報が錯綜してて(動脈瘤が破裂したとか、敗血症になったとか・・・。)未だに何が原因で倒れたのかわからない。

そんな中で「遠くに嫁いだ次女」こと、鹿児島在住のyossyさんが3泊の強行軍でフィレンツェにお見舞いに行く事になりました。本当に幸運だったようで、yossyさんが面会に行った時は意識が戻って会えたんだそうです。

何だかねえ・・・。その場面が容易に想像出来ちゃうんだよね。チューブが入ってて喋れないんだけど、目を丸くして驚いただろうな。喋れたら「yossy!!」って叫んでたと思う。
2年前にyossyさんが引き上げた翌月にイタリア滞在だったんだけど、工房に遊びに行ったらyossyさんの机を指差して「10年だぞ。10年。あいつは10年もここに居てモザイク作ってたんだ!長い時間を一緒に過ごした・・・。」と言ってたっけ。
yossyさんとご主人のサスライシェフ(私の友人兼ライバルとして、このブログでもお馴染みですが・・・。)は郷里でレストランを開いて、2年以上イタリアには行ってなかったんですね。だから、居るはずの無い人が目の前に立ってたって感じで、マエストロもさぞ驚き、かつ喜んだんだろうなと。

フィレンツェモザイクの世界もけっこう厳しいんですね。かなり難しい技術という事もあって、工房を一般公開してない所も多いんです。マエストロはその中でも珍しく、自分の技術を他人に教えちゃう人で、非常に貴重な職人さんなんですね。
数多くの弟子を育てて来た人だから、日本にも大勢、この工房でモザイクを作った人も居るんです。だから、日本在住のマエストロの弟子たちの想いをyossyさんが届けたような感じでしたね。
ありがとう、yossy。行ってくれて。

勿論、マエストロの留守の間、工房を守っている本永さんや、身よりの無いマエストロの家族代わりとなって、病院でのお世話をしているリトアナも立派です。マエストロの3人娘に感謝ですよ。

マエストロが倒れてから1ヶ月経ちました。頼りが無いのは良い証拠ですかね。徐々に快方に向かっている事でしょう。
我儘でお調子者でスケベで嘘つきで甘えん坊で・・・困ったマエストロですけど、本当に大勢の人から愛されている。マエストロ冥利に尽きますね。病院から出て来たら「ボクは皆に愛されている!」とか何とか言っちゃって、益々調子に乗って本永さんから怒られたりする事もあるかもしれない。まあ、それもマエストロらしいかな。

来年も再来年も・・・また一緒に誕生日を祝いたいものです。

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2013年6月14日 (金)

ミラノ観光その2

ミラノ観光の続きです。ドゥオーモから降りて、ガイドブックに書いてある場所に一通り行ってみようって事で、テクテク歩く。ここからは初めての場所だったので、すごく新鮮。

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サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会。教会の正面に古代ローマ時代の列柱が並んでます。教会は4~5世紀の建造だそうですが、多分この列柱は何かの神殿の跡で、教会もその神殿を改装して作られたんだろうなと。ミラノの建築物の中では異彩を放つ。

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サンテウストゥルジョ教会。4世紀に建てられた礼拝堂を徐々に改築して行き、現在の形になったのは15世紀。いろんな時代の様式が随所に見られる教会です。上のサン・ロレンツォ教会もそうですが、教会前の広場はけっこうな数の人で賑わっています。

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ナヴィリオ地区の運河です。こういう所で夕涼みにビールなんぞ飲むと気持ち良さそうですが、肝心の運河に水が流れてないんです。水不足らしい。・・・って、あんなに雨ばかり降ってたのに!雰囲気は良いんだけどなあ。

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運河沿いにある古い洗濯場。この地区は古いミラノの風情が今も残されている。

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運河から再び町中へ戻る。ミラノは路面電車が発達してます。いろんなタイプが走ってるけど、私はこの一つ目の黄色いのが好き。ちょっとアンティークな雰囲気が出てますね。

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サンタ・マリア・プレッソ・サン・サティロ教会です。ドゥオーモの近くにあります。小さいので見つけるのに苦労しました。中々可愛らしい教会ですが、これは教会の後ろ側。正面はsどうなってるのかと言うと、非常に地味な外観でした。って言うか、この写真だとそうでもないんだけど、建物が密集した中に立っているので、ちょっと窮屈そうでした。

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遠くにスフォルツァ城が見える。屋台がたくさん出ていました。カンノ―ロが出てたので、買って食べながら城を目指す。カンノ―ロってのはシチリア名物で、小麦粉の生地を薄く延ばして筒状にし、油で揚げた物にリコッタチーズやクリーム、ピスタチオ、果物の砂糖漬けなんかを入れるお菓子。夕方4時を回って歩き疲れて来てるので、甘い物はありがたい。ミラノでシチリア名物でも別に良いじゃないか。

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スフォルツァ城の門をくぐって、中庭から。私立博物館になってて、ミケランジェロのロンダニーニのピエタがあるんですよね。まだ入った事がないんだけど、もうじき閉館時刻なので今回はパスしました。

地下鉄でミラノ中央駅まで行き、フィレンツェに戻った。駆け足でしたが、充実した取材が出来ました。さあ、頑張ってミラノをやりますか!

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2013年6月13日 (木)

ミラノ観光その1

ミラノ、実はあまり行った事がないのです。これまでに2回行きましたが、1回目はミラノの画廊の見学に行きました。まだ切り絵を始めた頃で、暗中模索の時期でしたね。ついでに、ドゥオーモとガレリアと最後の晩餐だけ見て帰ったなあ。2回目は美大で特別授業をした時。この時はドゥオーモとガレリアと城を見て帰ったっけ。

だから、まだほとんどミラノの切り絵を作ってないんです。いい加減、作らなきゃいかんなあと思ってたので、ミラノに行って来ました。ただし日帰りだったので小走りでしたけど。

まずは駅からテクテク歩きまして、到着したのはスカラ座。

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スカラ座の前の広場に立つレオナルド・ダ・ヴィンチ先生の像。これは切り絵にしなきゃって事で、色んなアングルから写真を撮りました。

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スカラ座のすぐ横にあるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガレリア。豪奢ですよね。切り絵にし甲斐がある!ちょっと大きめのサイズで切り絵にしたいなあ。でも時間があるかしら・・・。

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ガレリアを通り抜けると、ドゥオーモがあります。ゴシック建築の至宝!135本の尖塔で飾られています。大きさは他の都市のドゥオーモに比べると、そんなに大きくないけど、あまりにも精緻な細工で圧倒されます。他に類を見ない存在感。

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今回初めてドゥオーモに登りました!いつも外から見てるだけだったもんね。近場で尖塔を見ても良い。
それにしても、晴れて良かったよ。私が滞在中はほとんど雨だったもんね。

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尖塔ごしにミラノの街を望む。尖塔の頂点には聖人の像が据えられています。
高い所は嫌いだけど、足場が安定してるからそんなに怖くない。

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降りて行く途中です。それにしても素晴らしいドゥオーモ。目に入る物、全てが美しい。
この写真も良いなあ。切り絵にしようかな・・・。

写真、多いので2回に分けます。って言うか、まだスカラ座とガレリアとドゥオーモだけですか。既に行った事のある場所だけですね。まあドゥオーモに登ったのは初めてですけど。
次回はミラノで初めて行った場所を中心に紹介します。

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2013年6月12日 (水)

ノルチァ

ウンブリア紀行4日目。最終日です。ホテルを引き払って、粉川さんに迎えに来てもらい、最終目的地であるノルチァへGO!!

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ノルチアの城壁外です。遠くに雪を頂いた山があるのが印象的。車の中で粉川さんに教えてもらいましたが、ノルチァってヴェスパシアヌスが出た所なんですね。

ヴェスパシアヌス!!ローマ帝国の皇帝で、有名なネロの後で内乱が起き、3人の皇帝が次々に代わったんだけど(最近の日本の総理大臣みたい)最終的にこの人が皇帝の座に就きました。元々は軍人出身なんだけど、政治もそつなくこなして帝国を安定させました。この人の業績としては、ローマのコロッセオの建造を命じた事が挙げられます。

他に有名なのは、財政政策の一つとして、有料の公衆便所を設置した事。これはあまりのせこさに非難轟々で、息子のテイトゥスまでが反対したのですが、その時に鼻先にコインを突き付けて「便所で稼いだお金だって臭わないだろ?」と言ったそうです。・・・名台詞と言うか、2000年経った今でも地元の小学生たちはラテン語で言えるんだそうです。・・・そうか、ヨーロッパでトイレチップの習慣はこの人のせいだったのか。

なんと言うか、常にユーモアを忘れなかった人みたいですね。
食あたりで死の間際に「下がっておれ!余はこれから神になるぞ!」と言ってベッドから立ち上がり、そのまま息を引き取ったと云う。当時はローマ皇帝は死後に神格化されていたのを皮肉ったんですね。最後にギャグを飛ばして逝くなんて、誰にでも出来る事ではない。

非常に人間的で、私はローマ皇帝の中で一番好きですね。身近にこういう人がいそうな感じで親近感が持てます。一気にテンションが上がりました。そういえば、今でもノルチァの人はガッチリ商売する事で有名なんだって。2000年前に生きたヴェスパシアヌス帝も立派なノルチァ人なんですねえ。

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ノルチァの市庁舎とドゥオーモです。よくある形ですが、背後に山が入るとちょっと雰囲気が変わって見えます。

街自体は30分もあれば回れちゃうぐらい小さいのですけどね。主目的はこちらです。

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豚肉の加工で有名なので、ソーセージ作りを見学させてもらうのです。豚肉の加工所の事をノルチネリアと言います。街の名が冠せられるほどに、ノルチァ=豚肉の図式が定着してるんですね。

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この日はカポ・コッロと言うサラミソーセージを作っていました。マエストロと呼ばれる(おおっ!!)ベッペ・アンスィーニさんです。奥に居るのは奥さんのジュゼッピーナさん。
カポ・コッロは豚肉の首の部分で作ります。豚肉の塩と黒胡椒、ウイキョウを混ぜて(オレンジの皮を入れる事もあるそうです。)乳牛の腸に詰めていく。一頭の豚から2つのカポ・コッロが出来るんだそうです。

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こちらは乾燥室です。ベッペさんの息子のエミリアーノさん。手に持っているのはパッレ・デル・ノンノと言うソーセージ。「お爺ちゃんのキン○マ」という意味です。単に形がそうイメージさせるからであって、実際にその部分を使ってるわけじゃないです。

取材を終えて、お土産用にカポ・コッロを買って帰りました。お母さんのジュゼッピーナさんのご好意で、粉川さんと2人分、カポ・コッロを挟んだパニーノも貰っちゃった。深みのある実に美味しいソーセージ。

さて、最後にお昼ご飯。スポレートに戻って、駅前のバールで粉川さんと一緒に。

実は今回のウンブリア取材では1軒だけ行けなかった所があるのです。それは何かと言うと、ポルケッタの屋台。ポルケッタと言うのは子豚にハーブを詰めて丸焼きにしたウンブリア名物ですね。粉川さんがスポレートの「名人」と言われる人の屋台を教えてもらったんだけど、スケジュールの問題で行けなかったんです。残念だなあと思ってましたが、粉川さんが気を利かせてくれまして、ご主人に買っておいてもらいました。

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ジャジャン!!(本当にジャジャンって思った。)上に写ってるのがポルケッタですね。付け合せはホウレンソウとウイキョウのトマト炒め。
実はポルケッタって美味しいと思った事が無かったんです。いや、美味しいはずなんだけど、何かこう・・・。原因は何かと言うと、冷たいんですね。で、生暖かい部分もあったり。パンに挟むとパサパサして、どうも美味しいと思えない。だから、ある時にフィレンツェの市場で見かけたので、買いまして下宿に帰ってフライパンで熱々にしたんです。
もー美味いこと!!これや、これ!!これが食べたかったんやあ!!と夢中になって食べました。

で、この時に食べたポルケッタですが・・・すごく美味しかった!!当然、熱々でなくて冷めてるんだけど、塩加減とハーブの香りが絶品でした。これまで、偶々美味しくない所で食べてただけかもしれない。たかが、ポルケッタと侮っていた私が間違っていた。是非、一度そのポルケッタの名人の屋台を見学して切り絵にしてみたいと思いました。

と言うわけで、3泊4日のウンブリア紀行もこれにて終了。粉川さんのおかげで、とても濃密な滞在でした。良い取材が出来た上に美味いもの尽くし。また行きたいですね。改めて、どうもありがとうございました!!

ウンブリアに旅行したい方は是非、粉川さんに案内してもらって下さい。

粉川さんのHPとブログはこちらです。

http://slowfood1.web.fc2.com/(HP)
http://butako170.exblog.jp/ (ブログ)

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2013年6月10日 (月)

マヨリカ焼き職人、セルジオ・トマッジーニ

ハッと気が付いたら、もう6月。制作に集中しているとアッと言う間に時が過ぎる。
で、この季節になっても、まだイタリア滞在記が完結してない!いかん、いかん。もうちょっと真面目に更新しよう。

さて、トーディ観光を終えた後、デルータに戻ってマヨリカ焼きの工房を取材。粉川さんの知り合いで、兄弟で分業されています。デルータの街の中心地からはちょっと離れてて、工業団地みたいな所にありました。
取材したのは兄のセルジオさん。絵付けを担当されています。弟のマウロさんは轆轤担当ですが、この日は忙しかったみたいで、挨拶したすぐ後に出かけられたので轆轤の作業は見れませんでした。

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こちらがセルジオさん。お店に出す小皿の絵付けをされています。お月さんを描いている。簡単なデザインですが、大量に描くので大変そうです。

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従業員の方々とお喋りしながら和やかに仕事をされています。奥にいる人は轆轤担当の職人さんだそうです。

写真を撮ってたら、「あんたも描いてみな。」と半分、強制的に描かされてしまいました。案内してくれた粉川さんは、仕事の電話でこの時はこの部屋から出てたんですが、戻って来たら私が席に着いて絵付けをしてるから「あっ!何やってんのよ!?」と笑われた。成り行きでこうなったんですが・・・。

・・えーっと、私は実は筆を使うのは苦手でして(例えば、線を引くにしても筆で描くよりもナイフで切る方が楽です。)プロフェッショナルな職人をやってる友達もたくさんいるから、お見せするのはお恥ずかしいのですけど・・・

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私が絵付けした皿です。いきなり絵を描けと言われたので困った末に豚を描きました。案内してくれた粉川さんが豚の研究家だしな。前日にイノブタも見てるし。

「今度、焼いておくよ。」とセルジオさんが言ってました。焼き終えたら、粉川さんが代わりに受け取ってくれてるそうです。無事に私の手元に来てくれると嬉しいな。いや、大したデザインじゃないですけどね。でも、初めて会う職人さんの工房で同じ作業をして時間を共有したって事はすごく貴重な体験なのですよ。

この後、スポレートに引き上げ。昼食が多かったので夕食は食べなかった。初日に行った店、エスカルゴなんかも出してて興味あったんだけどなあ。無理してでも行きゃ良かったと未だに後悔してます。

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