26日の続き。最早手遅れ?
26日のブログのコメントで軽く触れた件について。過去のブログで重複している内容もありますけどね。
マクドナルドの偽装が発覚しましたが、あんなのは驚くべき事ではない。ファーストフードのように、マニュアル化した製品を安い価格で提供するには徹底した合理化が進められて行きます。具体的に言うと材料の値段を抑える事と人件費の節約。接客するアルバイトに人件費の安い外国人労働者を使うわけにはいかないので、質の悪い材料を使うしかない。安全性に問題のある輸入食材を使うしかないのです。
要するに法律スレスレの基準さえ守って儲ければ良いという発想なので、そこに客の事を考える余地はほとんど無いわけです。
となると、ばれなければ何をやっても良いという発想に行き着く。「少々賞味期限を書き換えたぐらいではお腹を壊す客もいないでしょう、だからやっても良い。コストダウンにつながる。」と、合理化と言われる事の正体はこれでしょうね。
で、この件のニュースで古館アナが言ってました。「食の安全は最早、企業側に任せるわけには行かない。我々消費者が自分たちで見分けないと行けないんじゃないでしょうか?」
「マクドナルドなんか食ってる人間が味の判断なんて出来るわけが無いだろう!!!」
と思いっきりテレビに突っ込んじゃいました。質の悪い物だけを手に入れる事によって、良い物と悪い物を選り分ける感覚が鈍って行く。
私が毎年5月に参加している職人展でもこんな事があった。出展している職人さんが客にからまれたんだそうだ。
「商品の値段が高すぎる。中国人が作ってる物なんて1/10の値段で買える。」
だそうです。イタリア人は良い物を選ぶ感覚は優れていたはずですが、最近はこういうことを堂々と言う人が出て来たようです。比べてみれば一目瞭然で質の違いはわかるはずなんですけどね。イタリアでも中国製の物が溢れて来たので感覚が麻痺して来てるんでしょう。
まあ、私も最近までファーストフードを食べてたし、今でも夜食にカップ麺を食べたりしてるので、あまり偉っそうな事は言えませんけどね。ただ「合理化」の名の下にいろんな事が押し潰されて来ている。食や美的感覚だけの問題じゃない。伝えられて来た文化そのものが消えようとしている。それは寂しい事だと思うのです。
まあ、そろそろ合理化も行き詰って来ているはずで、今度は職人仕事が見直される時代になると良いのですけどね。(いろんな偽装が暴かれつつあるのは、むしろ良い兆候だと思います。)






最近のコメント