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2007年2月27日 (火)

昔の作品17、18。切り絵師になった日。

La_traccia17 昨夜、階段を降りる振動で鼻の中がムズムズするなあと思ってたら、その後くしゃみ・鼻水におそわれた。今年の花粉症が始ったらしい。私の場合はそんなに酷くはならず、1回薬を飲めば1週間ぐらい大丈夫ですけど。

作品17、「一夜限りのビーナス」。サイズは40×43cm。1997年6月制作。

路上にチョークやパステルで絵を描く大道芸人です。道行く人たちがお金を落としていく。フィレンツェのような観光地で人通りが多い所では、格好のデモンストレーションなので、上手い人だと仕事の依頼が来る。ボッティチェッリの「ビーナスの誕生」の一部を模写してます。

HPの方で公開したタロットカードhttp://homepage2.nifty.com/shunkan/i%20tarocchi.htmlは初めて色を付けた作品ですが、黒い紙を切った後、トレシングペーパーを貼って、裏からカラーインクを筆で塗った後、白い画用紙を一番裏に貼って仕上げてあります。普通に色画用紙を貼っていけばいいのに、何だってこんなややこしいやり方を選んだかと言うと、画用紙に思った色が無い場合、筆で塗るとムラが出るんじゃないかという事を恐れたからです。この作品も同じ技法で仕上げてあるけど、インクや糊の水分をトレシングペーパーは吸収しないので、全体が皺だらけになってます。まあ、いろんな実験をしたかった時期ですからね。

La_traccia18 作品18、「葡萄酒色の夕暮れ」。サイズは35×20cm。1997年7月制作。

この頃、フィレンツェでのアルバイトを始めました。ウッフィツィ美術館近くの日本料理屋でしたが、店の正面にあった立ち飲みのワイン屋さんを描いた。この店は主人が年金生活に入ったため、近くの惣菜屋が買い取って、今はワインとランプレドットを言う牛モツのサンドウィッチを出す店になった。

この作品もトレシングペーパーを店のガラス窓の部分に貼って透明感を表現している。・・・しかしあまり効果ありませんね。と言うか、仕上がりが汚く見える。当時の自分でもそう思ったので、この後トレシングペーパーを使う事は無かった。

さて、将来の不安で悶々としていたある日、語学学校の日本人の友達が「オルビエートという所に、こっちに長年住んでて、いろんなイベントの企画をやってるNさんという人がいるから、一度その人に切り絵を見せてみない?」と言われた。そんなに長年住んでる人なら何か情報を得る事もあるかもと思い、紹介してもらった。結果「大変、素晴らしい作品です、ぜひナポリで大々的に個展をやりましょう。」と言われた。それまで自分の切り絵が売り物になるとは思わず、また鑑定眼のある人に作品を見せた経験が無かったので、このN氏の言葉に舞い上がり「オレ頑張ります!!」と切り絵の制作に自分の留学を賭ける決意を固めた。かくして切り絵師・俊寛の誕生である。

しかし、このN氏はナポリの個展が実現する前に逃げてしまった。後でいろんな人から安請け合いする人物だったという話を聞いた。かなりがっかりしましたが、その時には今更もう後戻り出来なかったので結局、フィレンツェ近郊のスカンディッチという場所に自治体が管理するフリースペースがあったので、そこでイタリアでの初めての個展を開いた。だいぶ最初に想像したものより地味な個展になったな。

後年、N氏を紹介してくれた友人と、フィレンツェでばったり顔を会わせたので「君がN氏を紹介してくれたおかげで切り絵師になったのだ。」と嫌味すれすれに感謝の言葉を贈った。果たして私はあの時人生を誤ったのかどうか。今後の努力次第で評価は変わるな。

・・・要するに成り行きで切り絵師になったようなもんですね。これじゃあまりにミもフタも無いですから、不思議な運命のいたずらで切り絵師になったという事にしておこう。

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2007年2月25日 (日)

昔の作品その13~16。自分探し。

La_traccia13_1

作品13、「トスカーナの風景」。サイズは40×50cm。1996年11月制作。

トスカーナというのは中部イタリアの州の一つで、フィレンツェもこの州に含まれています。なだらかな丘陵地と糸杉・オリーブの木々と、典型的なトスカーナの風景ですな。

この風景は、「昔の作品その7」で書いたベルベデーレ要塞から、フィレンツェの町と反対側を見た風景。上の中央やや右寄りにチェスの駒のような塔が見えますね。一度気になって、塔を目指して歩いた事があった。私有地だから近くまで行けただけでしたがね。

La_traccia14 作品14、「汚れた世界」。サイズは65×50cm。1996年12月制作。

とにかく徹底的に汚く下品な景色にしてやろうと思ってデザインした。スケッチブックを抱えてフィレンツェの町を歩き回り、落書きの採集に努めた。作品に登場した落書きの2倍ぐらい集めたかな。寝ているホームレスの人は、同じ下宿に住んでたナイトウ君に「ちょっと路上で寝てる人のモデルを・・・。」と頼んでやってもらった。

一箇所にまとめると、このように汚い場所になるけど、本当はここまで汚い場所じゃありませんので誤解なきよう。あくまで「ファンタジー」ですので。

「ジャンキーな世界でイカス!」と意外と評判が良かったりする。

昔の作品その10と同様、黒い紙を切った後、水色の紙を貼って、水色の紙を切った後、青や藍色の紙を貼って仕上げてある。

La_traccia15 作品15、「若者たち」。サイズは50×40cm。1997年2月制作。

ウルビーノという所を旅行した時に、夜中に歩いてると旧市街の人気の無い道に猫が5、6匹一直線に並んで座ってました。なんだか会合でもしているような不思議な光景でしたな。写真に取れたわけじゃないから、後で思い出しつつ、ふさわしい風景にスケッチした猫を配置してデザインした。風景はペルージャというフィレンツェ近郊の街です。

この作品も10、14と同様の技法で仕上げてあります。

構図的に当時としてはかなり上手く行った作品なので気に入ってましたが、作品10と一緒に買ってもらいました。

作品16、「息吹」。サイズは35×25cm。1997La_traccia16年4月制作。

だいたい4月ぐらいになると、綿帽子のような物が風に乗ってフワフワ飛んでます。あれを見ると「春が来たなあ。」なんてのどかな気分になりますが、この綿帽子みたいな物、花粉なのでアレルギーの人はそんな呑気な感想はとても持てないらしい。

場所はフィレンツェのバッソ要塞の隣の公園。3番目の下宿の近くなので毎日通った道です。

カメオ細工という技術がある。貝殻や瑪瑙などの石に浮き彫りをほどこし、アクセサリーに仕上げるという技法ですが、実はフィレンツェに留学しはじめた当初はこの技術を習得したかったのです。この技術、南イタリアで盛んなので、フィレンツェには工房や学校は無かったのです。語学学校に在学中、情報を集めようとしたのですが、未熟な語学ではままならず。そうこうしている内に他の職人仕事も素晴らしいという事を知り始めた。(なにしろ職人の町だからね。)と、この時に生じた疑問が一つ。

「果たして、空っぽの自分が、今から頑張って技術を会得したとして、それがイタリア人の作る物を超えられる物になるだろうか?」

こう考えると身動きが取れなくなりましてね。勇壮かつ悲壮な決意を持ってイタリアに入ったものの、結局自分のやりたい事が見つからないという情け無い状況に陥り、そこから目をそむけるようにイタリア語の勉強を本気で頑張ってみたり、日本料理屋でのバイトを始めたり、所属していたイタリア語学校の先輩(と言ってもほんの数ヶ月前に入学したばかりの人たちですが。)をつかまえては相談してみたり。相談にならなくて単に愚痴をこぼすだけになってたり。かなり焦ってましたねえ。対人関係も最悪だった時期でした。

この時期に切り絵でやって行こうと思える出来事があったのは、恐ろしく運が良かったと思います。そのままやってれば、まず間違いなく「駄目留学生」になっている所でしたからね。

その出来事に関しては次回に。たいしたきっかけじゃないので、あまりご期待されないよう・・・。

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2007年2月23日 (金)

昔の作品その10、11、12。

La_traccia10 随分間があいちゃいましたね。現在、調子よく制作してましたが、ちょっとミスして一気に緊張感が切れました。最近、集中しすぎて疲れもたまってたみたいです。こういう時は制作を進める気分になれなかったので、昨日一日かけてミスした部分をやり直し。他にも気になってた部分に手を入れてやる。これでまた気分良く制作活動に打ち込める。

昔の作品その10、1996年8月制作。タイトルは「8月の魔術」。サイズは65×50cm。

サンロレンツォ教会の前に立ち並ぶ、みやげ物の屋台。普通こんな上からのアングルでは見えないので、旅行雑誌に載ってた写真からスケッチした。

地面に両生類と魚の化石がありますが、これは黒い紙を切った後、台紙となるピンクの紙を貼り付けて、更にそのピンクの紙を切って裏から赤紫色の紙を貼った。

そろそろ単色の切り絵から、より複雑な技法を試しだした頃ですね。

この作品、私が売った作品の中では最初期に制作したものです。(この作品が売れる少し前に友達から注文が入って制作したのが最初ですが、作った物で売れた作品はこれが一番古い。)

La_traccia11 作品その11、1996年9月制作。タイトルは「夏の旅人」サイズは50×65cm。南イタリアのナポリとソレントの駅を組み合わせてデザインした。

この作品、最初の風景画ですね。(前作も風景画だけど、ちょっと自分のファンタジーが入ってるし。)ホームに立ってる旅人は、当時同じ家に同居してたアメリカ人留学生のセーマ君。リュックを持たせて「ちょっとモデルやって。」と頼んだ。

作品が14点たまった時にイタリアで初めての個展を開いたのですが、アンケートを取ったら一番人気がありました。

La_traccia12 作品12、1996年制作。タイトルは「ジュリエッタ」。サイズは35×20cm。一番最初に下宿してた家に黒猫がいまして、時々窓からこうして外をのぞいてた。この子が見ている先には白い猫が座ってたな。なんだかシェイクスピアのロミオとジュリエッタみたいだな、というわけで。

私はフィレンツェに住んでた時期は5つの家に下宿しましたが、その内3件の家に猫がいました。もう1件は大家さんの双子の弟が獣医さんだったので、絶えず犬か猫を預かってましたな。私は猫好きだから、けっこう楽しんで遊んであげてましたが。(オレが遊んでもらってたのかも・・・。)最後の下宿では、大家さんが昼間働きに行って留守の間は、ずっと私の部屋のベッドの上に猫が座ってましたな。えらく仲良くなってた。

犬も好きですけど、どっちかと言うと猫派ですね。

1996年の2月からフィレンツェに住み始めて、6月まで最初の下宿に住んでました。騒々しい家だったなあ。大家さんが下宿人を詰め込みすぎて、一部屋に3人住んでた時もあったし。その時は合計9人が一つ屋根の下にいた。キッチン一つ、風呂一つでどうやって生活するんだと思ったので下宿を変わったのです。流石にトイレは2つあったけども・・・。大家さんの女の人と同棲してる彼氏は大家さんを殴って血まみれにした挙句、逃げ出して警察まで出動する騒ぎになったと後で聞いた。それなりににぎやかで楽しかったけど、過激な家だったなあ。

この3点は6月から住みだした下宿で制作したもの。静かな家だったので制作に集中できた。同時にこの時期はイタリア語の勉強に本気で打ち込んでた時期でしたね。4ヶ月ばかり真面目に単語の書き取りをしてたら、クラスで一番出来るようになっていた。どうもそれまで勉強の仕方に問題があったみたいで、本気で勉強してみて、効率の良い勉強の仕方がようやく理解できた。

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2007年2月17日 (土)

飲み会♪

最近は昔の作品の話ばかりアップしてますね。制作の方はそろそろ調子が出て来てます。来月初めには完成するかなってんで、本格的に缶詰になる前に外に出ておこうという事で、友達と飲みに行ってきました。まあ既に充分、家に閉じこもっていたので、久々にお酒を飲んだおかげで貯まっていたストレスが一気に吹っ飛んだ。

手羽先のチェーン店、「風来坊」に行って来たんですけどね。この店に行くのは初めてです。昔、印刷会社の営業で外回りをしていた時、ラジオを聴きながら車を運転してたんですが、夕方に漫才師の今いくよ・くるよがこの「風来坊」のコマーシャルをしてましたな。

「手羽先!手羽元!ターザン焼き!!」

なんて言ってましたが、このターザン焼きと言うのは一体何だ?と、以前から疑問に思ってたのです。楽しみにしてたんだけど、どうも店舗によってメニューが違うみたいで、ありませんでした。謎は深まるばかりだ。手羽先と手羽元は食べました。美味しかったよ。

しかし「ターザン焼き」ってものすごい名前だよね。一度聞いたら忘れないと言うか・・・。破壊的インパクトとでも表現するべきか・・・。うーむ。

フィレンツェに住んでた時に、在住の日本人と飲んでた時に名古屋銘菓「なごやん」の話が出た事がありました。この名前も名古屋以外の人には、ものすごい受けたみたいで、「オレ、一度そのなごやんとやらを食べてみたい。」という人がけっこういましたな。ネーミングって大事ですね。ちなみになごやんというのは、黄身餡のお饅頭です。素朴な味で美味しいですよ。前は「金鯱まんじゅう」という名前だったそうです。こっちの名前も素敵だなあ。

みなさんも何かすごい名前の食べ物をご存知ですか?面白いのでコメント下さい。

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2007年2月15日 (木)

昔の作品その9。黒いペルセウス。

La_traccia9 1996年7月に制作。サイズは50×65cm。

前作がミケランジェロの「ダビデ」を描いたので、シニョーリア広場にあるベンヴェヌート・チェリーニの代表作「ペルセウス」を描いてみた。

チェリーニはルネッサンス期の彫金家・彫刻家です。彫金家としてはもっとも成功を収めた人なので、現在でもフィレンツェでは優れた彫金家には「現代のチェリーニ」というあだ名が付けられる事もある。

職人としても頂点に位置する人ですね。そういえば私が2年前の職人展でグランプリを取った時に貰った賞も「ペルセウス賞」だった。これはチェリーニの代表作であるこの彫刻にちなんだものですな。

私が好きなイタリアの芸術家ベスト3というと、順番は気分によって変わりますが、ミケランジェロ、カラバッジョ、そしてこのチェリーニですな。・・・性格の悪い人ばかりだ。女友達に「ワルにあこがれるなんて、不良にあこがれる中学生みたいだ。」と笑われた。

さて、作品の方ですが、ギリシア神話において、どうもこのペルセウスの敵役であるメドゥサ(頭髪が蛇の女怪。その顔を見た者は石に変えられる。)はかわいそうだなと思いまして。元々は美しい女だったのが、女神に嫉妬されて醜い化け物に変えられたという・・・。そんな悪い事はしてなかったのに。

と言う訳で私の作品ではペルセウスとキスさせてみた。少しはメドゥサも救われるかなーって。

この頃はフィレンツェでの生活に慣れ過ぎたのか、羽目を外して毎晩飲み歩くなんて事をしてました。当然、学力は下がる。生活も荒れだして周囲の評判も悪くなってました。これじゃいかんなと思い、ある日から酒を絶って、真面目に勉強を始めた。

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2007年2月13日 (火)

昔の作品その8。語学学校。

La_traccia8 1996年6月に完成。サイズは50×65cm。しばらく、このサイズの作品が続きますが、これはイタリアの文房具屋で売ってる紙のサイズだからです。紙もCANSONというフランスのメーカー。これが一番手に入り易い。以後ずっとこの紙を使っているので慣れちゃって現在でもCANSONで作ってます。

フィレンツェの町並みを背景に、ミケランジェロのダビデ像とその手に止まるセイレーン(ギリシア神話に出て来る、頭が人間、体が鳥の怪物。)を描きました。「止まった時間があれば、普段動かないダビデ像は動き出す・・・。」なんて事を考えつつデザインした。セイレーンの頭部は黒人の女にしてある。こういうのは手元にあった雑誌などからスケッチする。

前作がオリーブの木の細かさに力を入れてたので、じゃあ今回は町並みを細かく描き込もうというわけで。ドゥオーモとベッキオ宮殿、サンロレンツォ教会がありますが、位置関係はバラバラです。これは絵の構図的に見栄えのする位置にずらしたからこのようになった。今やるのであれば、位置関係は正確に、それでも構図として違和感なく仕上げる事は出来ると思います。

日本にいた時は半年に一度のペースで制作してましたが、第一作目から2ヶ月で完成できた。語学学校の友達に「早く次の作品見せてよ。」とせかされてたので、2ヶ月で持っていったら「早かったね。」と言われた。

私が通ってた語学学校の「LINGUA VIVA」は授業料は高かったけど、授業の内容は充実してました。日本人もけっこう多かったので、フィレンツェに着いた当初はいろいろ教えてもらえましたね。まあ、語学を勉強する環境としては、日本人が多すぎるのも考え物なのでしょうが、あまりに何も知らなかった時期なので助かりました。

しかし何故か私の勉強してたクラスは日本人が少なくて、韓国人が多かったです。(語学学校全体で見ると日本人の方が多いんだけど。)他にドイツ人、イスラエル人が多かったですね。片言ながらコミュニケーションを取れるのが楽しかったです。Millemiglia004

下の写真は4月に同じクラスの子たちとシエナへ遠足に行った時です。カンポ広場にてコーラ片手にパニーノ(サンドイッチの事。)を食べてる。左から3番目が私です。日本人は私一人で私の右でコーラを挙げてるのがブラジル人。あとの4人は韓国人です。ほとんどみんな引き上げちゃったけど、ブラジル人の子は前回の滞在の時にベッキオ橋の近くの眼鏡屋でアルバイトしてたのを発見。彼女が一番古い友達だな。

この写真、なんだか青春してて気に入ってるので、私が使ってる伊和辞典の表紙の後ろに貼り付けてある。この伊和辞典もボロボロ・・・。ずっと使ってるからなあ。

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2007年2月11日 (日)

昔の作品その7。イタリア生活開始。

La_traccia7 出発するまでは、会社勤めの傍ら、NHKのイタリア語会話をビデオに撮って勉強をしてました。本当は語学学校も行きたかったのですが、あの当時は英会話の学校はあっても、イタリア語を教える所はよほど大きい街しか無かったですからね。営業部だと帰宅時間は遅くなるので、とても行けるような状況ではなかったですし。

周囲に留学経験がある人もいなかったので、結局全部自分で調べるしかなかったですね。つまりロクに情報が無いまま出発したようなものでしたが。ともあれ、まずイタリア語を喋れなければ何も出来ないので現地で語学学校に通う事にした。NHKのイタリア語会話のテキストに広告が載っていた「LINGUA VIVA」という学校に決定。下宿も学校が探してくれるし、他にどういう語学学校があるのか知らなかったので。まあ、あまり無名の学校なんかだと、騙される事もあるかもしれないと思ったので。NHKのテキストに載ってるぐらいだから、まあ大丈夫だろうなと。

1996年の2月3日にイタリアに向けて出発。大韓航空でソウル経由でローマへ入り、ローマで一泊。翌日電車でフィレンツェに行った。ローマでは白タクにタクシー代をぼられるは、フィレンツェではジプシーに手帳をすられるはで(多分、財布と思ったのだろう。)下宿にたどり着いた時にはホッとしました。

語学学校は最初は全く授業についていけなくて、到着直後に酷い目にあった事もあいまって「本当にこの地でやって行けるのか???」と不安のどん底に陥りました。やっぱ、NHKのイタリア語会話では役に立ちませんでしたね。でも実戦で鍛えるのが一番上達するみたいで、1ヶ月もすれば、まだあまり喋れないまでも生活には慣れました。

そうなると毎日が楽しくなって来ましてね。最初はイタリアは修行の場だから自分の趣味に時間を使う事はやめようと思い、切り絵は封印したつもりだったのですが、語学も順調に上達してるし、そんなに焦る事はないかと思い制作を始めた。

フィレンツェに住み始めてから2ヶ月経った、1996年の4月に制作。サイズは50×65cm。これがイタリアで初めて制作した切り絵です。

下宿の近くにベルベデーレ要塞という、フィレンツェを一望出来る場所がある。(このベルベデーレ要塞は有名なミケランジェロ広場の西にある。同じぐらいの高さにあるけど位置的にアルノ川は見えない。その代わり、ドゥオーモはより近くに見える。)丁度フィレンツェを囲む城壁の外側を歩く事になるんですけどね。城壁と反対側は石積みの壁で、向こう側にオリーブの畑がチラチラと見える。お気に入りの散歩コースでしたね。

で、この道に古いtabernacolo(タベルナーコロ)があります。作品の上に描かれている、家の形をしたのがタベルナーコロですが、本来は聖像を安置するため街角の壁の凹面に設置された物。街角に仏壇が設置されているようなものですが、ここのタベルナーコロはあまりにも古いためか、アーチ状の部分に聖像が在るはずなのに消えちゃって普通の壁になってます。「ご本尊はどこに行っちゃったんでしょうなあ。」とフッと思ってこの作品を制作しました。聖母子と狼は下宿に置いてあった映画のパンフレットから、タベルナーコロとオリーブの木は散歩道に在る物をスケッチした。

日本にいた頃に作っていたのと同様、イラストっぽい感じの切り絵ですが、せっかくフィレンツェにいる以上は、周りに在る物をモチーフにしようという事で。

それまでは画面にいろんな物、いろんなテーマを詰め込みすぎて訳が分からない絵になる事が多かったです。意気込みが空回りしてたんでしょうね。この作品では「久々の切り絵だしちょっと肩の力を抜いてやるか。」と思ってやってみたら、思っていたより良い作品に仕上がったので、ここで初めてそれまでの作品の欠点を自覚出来た。

語学学校に持っていって、友達や先生に見せたら評判が良かったので、気を良くした私は以後も切り絵を作ろうと決めた。

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2007年2月 8日 (木)

昔の作品その5と6。会社員時代・後編

La_traccia5 1994年と95年に制作しました。この頃は半年に一枚のペースでしたね。サイズは2点とも4つ切り画用紙です。

前回のブログで公開した作品は、自分でもお気に入りだったのですが、この時期に作った物はどれも失敗作だなと当時の私も思いました。一つの画面にいろんな物を詰め込みすぎている。上の作品は狼女に中世ヨーロッパの町並み、竹、猫、女の子を、下の作品では恐竜の化石と黒人の女、牢獄、鉄条網、つる草、蛇、狩の獲物(女が持っている鳥)と、ただもう自分の興味があって、テーマに関連性のある物を描き込んだといった感じです。

描き込み過ぎ→見づらい=下手くそ

今の私が作るのだったら、上の作品は猫と女の子(画面右端に立っている。服装が当時の雑誌からスケッチした。・・・時代を感じるなあ。)を削って、下の作品は化石、牢獄、黒人の女だけにするかな。複雑さは色をつけてやれば見やすくなるし、モノクロでやるのであれば線を整理する。

・・・けっこう面白いな。自分の作品をいじるのって。リメイクしてみたくなりますね。

下の画像なんかはかなり雰囲気が暗いですね。やっぱり当時の私の心理的状況が作品に出てたんだろうか。

La_traccia6印刷会社の営業部員だった頃、仕事というとクレーム処理がほとんどでしたね。ベテランになれば、お客さんの怒りを受け流して、テキパキと処理していくのでしょうが、不器用な私はあたかもテトリスが積み上がって行くように机の上に書類の山が出来ていきました。

「このまま、ここにいて何か出来るんだろうか?」

こんな事を考え続けた結果「今の仕事は自分に向いてないから、他の仕事を見つけよう。何か手に職をつけたいし、出来れば芸術性の高い物がいい。旅行で行ったことのあるイタリアが物価も安いから良さそうだ。」という結論が出ました。今で言う自分探しの旅ですね。

私を含めて、私の同期の社員はろくな者がいなくて、ボロボロと会社を辞めていきました。ただ私は同じように逃げ出すにしても、何か結果を出してからでないと会社に対して申し訳ないし、この先何をやるにしても中途半端になって、次々と仕事を変えて結局何もつかめないなんて事になりかねない。だから気合入れて仕事を頑張ってみる事にした。まあ、会社の立場としては、辞めるのなら早く辞めた方が良いのですがね。投資するだけ無駄だし。ただ自分自身にけじめはつけたかったのです。

所詮は後ろ向きの努力ですけどね。しかし、その年の新規のお客さんを取った件数は、私と上司が同着で1位でした。若手としては頑張ったので、一年の内に出るかどうかという営業賞なるものまで貰いました。

と、こう書くとものすごく有能な営業部員のようですが、私は褒められる事も多かったけど、叱られる事はもっと多かった。上司としては、さぞ使いづらかっただろうなと思います。口ごたえするしな。(今思い出すと本当、赤面のいたりだよ。)だから在籍中は衝突を繰り返していたのですが、上司は私のいない所で私の事を褒めてくれていたのだそうだ。辞表を出した後で後輩からその話を聞いた。辞める時も「立派になって帰って来なよ。」と言われました。

・・・自分で書いてて涙腺がゆるんで来た。当時はそんなに感動しなかったのに。にぶ過ぎるなあ。

ともあれ、こうなっては後に引けない。決意を胸にイタリア行きの準備を始めた。

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2007年2月 6日 (火)

昔の作品その3と4。会社員時代・前編。

Millemiglia003  今回は会社員だった時期に制作した作品から2点。2点ともサイズは4つ切り画用紙です。上は1993年、下は1994年に制作しています。

昔の作品をブログで公開するために、押入れから引っ張り出して写真を撮ってますが、上の作品がどこを探しても見つかりませんでした。捨てたり人にあげたり、ましてや売ったりなんかはしてないから、確実にどこかにあるはずなんだけどなあ。

仕方がないのでアルバムに貼ってあった写真をスキャンしてみました。少々見難いですがご勘弁を。

2作とも卒業旅行でヨーロッパを周った時に撮影した風景の写真を参考にデザインしてます。上の作品の建物はギリシア、下はオーストリア・ウィーンの公園ですね。旅行した時に雪が積もっていたので、雪景色になってます。

卒業旅行で周った中にフィレンツェも入ってます。あの時は、まさか将来住む事になるとは思ってませんでしたね。撮りまくった写真の中に、私が後に下宿する事になる建物が写ってたりします。

会社は印刷会社の営業をやってました。初めての一人暮らしでしたね。本社に1年、営業所に2年いました。合計3年間、ついに営業の真髄を知ることなく辞職しましたね。

そういえば、会社の後輩にも何年か前に辞職した子がいましたが、彼は私と違って営業の面白さに目覚めて「本当の営業がやりたいので会社を辞めます。」と言って転職。La_traccia4今では第一線の営業マンとしてバリバリやってるんだそうです。(印刷業界は先細りなので、営業としては頑張ってもやりがいがあまり無いのです。)

私はこの話を知った時、すごく嬉しかった。彼とは私が会社を辞める時に、得意先に引継ぎで一緒に行った事があったのですが、私がイタリアに行く事を話すと彼は「僕は菅さんみたいに特に夢があるわけじゃないから、この会社にずっといるんじゃないかな。」と言ってたのです。

しかし彼は私が見つける事が出来なかった「営業という仕事の面白さ」を見つけ出して、蓄積したノウハウを生かして大きな花を咲かせる事が出来たのです。同じ職場にいても本人次第で実りのある人生にする事が出来る。

2年前の東京での初の個展に、この後輩が来てくれたので「引継ぎの時にさ、こんな事を話したけど覚えてる?」と聞いたら「○×製薬でしょ?覚えてる、覚えてる。」とはにかみながら答えてくれました。私は彼が頑張ってる事が嬉しかったし、彼も私が充実して制作を続けてる事を喜んでくれたと思う。

仕事が上手く行かなくて悩んでいた時に、上司が「どんな仕事でも才能の有無じゃなくて、その仕事を好きになれるかどうかなんじゃない?」と言われた事がありました。私の後輩という生きた見本を前にすると、この言葉は本当に正しかったなと思う。そしてこういう考えが持てる人たちに囲まれて仕事をしていた私は、実は幸せだったんだなと今気が付きました。(遅すぎるんだよ!!)

その事を自覚せずに私は会社を辞めてイタリアに渡ったのです。会社を辞めて11年経った今でも、何人かは私の個展を見に来てくれるし、失望させないためにも今の仕事を頑張っていかなきゃね。

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2007年2月 4日 (日)

昔の作品その2。

Img_1892 今回も学生時代に制作した切り絵です。美術サークルの展示会に出品した2点目の作品です。1992年制作。サイズは4つ切り画用紙です。前回がシルエットで抜いたようなデザインに対して、今作では普通のペン画のように線で描いて白い部分を切り抜くというものになっております。まだまだ台紙を1枚裏から貼っただけですが、私の切り絵の基礎は出来てきてるかなと思います。

この作品ではきちんと下絵をやってます。前回いいかげんな下絵のまま切り出して、何度もやり直した反省から、この時はわざわざ一回り小さい雛形を描いて全体のバランスをつかんでから、本番用の紙に描きました。この時期は黒い紙に鉛筆で下絵をやってて、そのまま台紙を貼り付けたから鉛筆の線が残ってて目立ちました。次の作品からは切った後で引っくり返してから台紙を貼る事になりました。これで鉛筆の線は見えない。(左右逆になるけどね。)試行錯誤を繰り返して前に進んでいく。

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2007年2月 3日 (土)

イタリア記念日。昔の作品その1。

Img_1886_2 今日2月3日は11年前に私がイタリアに向けて旅立った日です。あの頃はまだ留学が珍しい時代で、まわりに相談出来るような留学経験のある人はいなかったし、必要な情報もネットで検索なんて事は出来なかったので、行きの飛行機の中で期待半分、不安半分の感傷的な日記を書いてました。(ブログ以外に高校生の時からノートに日記を付けてます。)決闘に赴くような勇壮な気分でしたね。当時の自分は健気で可愛いかったなと思う。

と言う訳で、今回から当時を振り返りつつ、昔の作品の紹介をしていきたいと思います。未熟な時代の作品なので少々恥ずかしいんですけどね。しかし制作に集中してると家から外に出なくなるのでブログのネタも無いし、かと言って制作記録を書いても何だかなあって事になりそうだし。「○月×日、今日はここまで進んだ。」と書いて写真を添付して終わり、なんてね。これじゃ書くのも読むのもつまらないブログだ。

で、私の初めての切り絵。4点あるけど、一番上が最初に作ってみた物。切り絵の作り方なんて習ったわけじゃないから自己流で、と言えば聞こえは良いけど、すごくアバウトな下絵を描いて即興で切った物です。これでは自分の想像してた仕上がりにならなかったので、結局3回作り直して「これで完成品!」としたのが4番目の画像です。Img_1887_1やっぱ、基本的な手順はきちんと考えてから制作する方がいいですね。

押入れの中から発掘して来ました。20歳の時の作品ですね。今28歳だから8年前ですか。 (突っ込まないように。)大学生の頃に所属していた美術サークルの発表会の為に作りました。当時は油絵や水彩画、粘土細工に木彫、水墨画といろいろ試していたのですが、後輩に切り絵をやってた子がいまして、面白そうだから自分も作ってみようという事で制作しました。4番目は展示会で発表したのですが、1~3番目は初公開ですね。

あの頃はエネルギーはあり余ってたんだけど、どの方向、どの分野に向けたら良いのかわかりませんでした。自分の人生をかけて何をするべきか?何が出来るか?簡単に出る答えではなく、確かな答えなどない問題ですが、真剣に悩んでましたね。感情的に一番危うかった時代でした。

とりあえず手近にある事に励めば何か得る物もあろうと思い、サークル活動やアルバイトを一生懸命やってました。(勉強はどうなったのだ?って感じですが。)とはいえサークル活動にしろバイトにしろ卒業する時期というのは来るもので、大学を卒業してからイタリアに出発するまでの3年間、いわゆる「自分探し」について迷走する事になり、Img_1888_2この作品を制作した4年後にイタリアに渡る事になる。

もっと他の世界を見てみれば、自分の探している目標は見つかるかもしれないと思い、バイトで貯めたお金は海外旅行につぎ込んでました。まあ人生の目標なんてのは行動範囲を広げれば見つかるという訳ではなく、同時に目の前の事柄についてより深く考察していく事の方が大切なんだと今は思いますがね。そこはそれ青二才の浅はかさでしたので。

最初に 旅行した外国はトルコ・ギリシア・エジプトでした。 神話とか遺跡とか好きでしたか らねえ。この作品も旅行で得たイメージと、古代ギリシアの壷や皿に描かれている絵をベースにエジプトやトルコの風俗を取り入れつつデザインしたものです。自分なりに斬新な物を作りたかったので、和風なイメージが強かった切り絵を無国籍風なデザインでやってみたかったのです。この頃描いていた作品はこういった無国籍風のデザインばかりになってましたねえ。

展示会での評判も良かったし、自分に合ってるなと思ったので以後は切り絵一本で行くことになりました。思えばこの時に人生を誤ったのかもしれんな。

Img_1889しかし、流石に今の目で見ると趣味でやってた時期の作品とは言え、作風も技術も未熟でしたな。デザイン、切り方、貼り方全て雑!!でもこの作品が初めの一歩となったので愛着はあります。1番目なんか二つ折りにしてしまってあったので、折れ目が付いちゃってて・・・。いずれ台紙を張り替えて修復してやらなきゃね。

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2007年2月 2日 (金)

夜食・・・。

調子良く制作が進んでいるので睡眠時間が短くなってます。こうなると夜食が欲しくなりますな。買い置きのカップ麺とかカップ焼きそばなんぞを食べたいのですが、現在口内炎が出来て痛いので食べるのをあきらめました。まあ、食べると確実に太るので、この口内炎は天の声だと思う事にしますが腹が減ったな・・・。

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