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2006年7月31日 (月)

イタリアからの帰国。

職人展と工房の取材、取材を兼ねた小旅行と、やるべき事は全て終えて帰国の途についたのは5月31日。飛行機に乗っている時間、帰国してからの制作の計画や今回の滞在で得たものについて考えていました。

7月14日のブログで登場したブロンズ職人のシモーネ・カルチナイ君、女、サッカー、酒が大好きという典型的なイタリア男だが、職人としてはすごく謙虚なやつでした。普通、こういうタイプは良くも悪くも自信家である事が多いのですけどね。

工房の写真に彼と一緒に写っている年配の職人さんを指して「この人、シモーネの師匠かい?」と聞いた時に「師匠って言えば師匠だけど、オレにとっては周りの人はみんな師匠だよ。俊寛、お前もな。」と答えた。多少、優等生過ぎる返事だなとその時は思った。

後日、シモーネ君に紹介してもらった木彫家のマッシモ・バルディーニさんの所に取材に行きました。いろいろお喋りしてる時に、5,6年前に亡くなったシモーネ君たちのお父さんについての話が出ました。

「病気で亡くなったんだけど、後に残していく息子たちの事を相当心配してたんだがな・・・。」

この言葉を聞いた時、シモーネ君が何故あそこまで謙虚でいられるのか、わかったような気がしました。多分、マッシモさんみたいな人たちに見守ってもらっているという事を、常に意識していたんだと思う。

まあ、それは考えてみれば、私も同じ事ですな。多くの職人さんだけでなく、普段の生活の中で支えてくれている家族や親族、友人たちや、イタリア・日本で志を持って修行している若い者たち(こう書くとおじさんぶってイヤミかもしれんが、最近の留学生を見て若いなあと感じる事もあるので・・・。)個展や展示会、ネットを通じて知り合った多くの人々。私にとって、それらの人たちの寄せてくれる好意と期待がどれほど制作の原動力になっている事か!私がみんなに対して報いる術があるとすれば唯一つ。「見た人が幸せになれる作品を作る事」これしかないのだ。そして、それは人と人とのつながりの中で自分の位置を意識していく作業でもある。

以上は常々思っていた事ではあるが、シモーネ君との付き合いでそれを再確認させてくれた。どうも制作が行き詰まると、初心を忘れて殺気立って来る事もあるので、年に一度のイタリア滞在は、自分への良い意味での刺激を与えてくれるみたいですね。

と言う訳で、長いイタリア滞在のレポートでしたが今回で最終回です。2ヶ月もかかっちゃいましたね。やれやれ。

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2006年7月28日 (金)

仲のいい職人さん、その2

Penko001 前回に引き続き、仲の良い職人さんの紹介です。

彫金家のパオロ・ペンコさん。画像は3年前の職人展でペンコさんのブースにて。ペンコさんについては、ホームページやこれまでのブログでも度々登場してます。

前回のブログで紹介したバンキさん達が職人という事を離れても友達でいられるのに対して、この方はお互い職人であるから友達になったのです。

知り合ったのは、2002年、コルシーニ庭園での職人展でペンコさんのブースを見て、その数日後、偶然彼の店の前を通りかかったので「ああ、この店だったのか。」と外から中を見ていたら、正面で仕事をしていたペンコさんと目が合って「やあ。」といった感じでドアのロックを開けて招き入れてくれた。後でペンコさんの弟子のA嬢(日本人です。2年前から働いてます。)あまりお金無さそうな人は店に入れないから、珍しい出来事なんだそうです。あの時は色あせたシャツに迷彩ズボンにサンダル履きっていう、見るからにやる気の無さそうなかっこだったから、よく入れてくれたもんだよね。

で、その時から彼の切り絵を作る事になり、度々通ってました。ペンコさんはけっこう人見知りする性格だったらしく、あまりお喋りはしませんでした。しかし、それでも何かエネルギーをもらってるような気がして、店を出る時には「よーし!やるぞー!」と気合が入ってましたな。

翌年、ペンコさんの推薦で職人展に参加することになり、フィレンツェに滞在中はちょくちょく油を売りに行ってます。最近ではペンコさんもすっかりくだけて、オヤジギャグを連発している。・・・背は高いし、男前だし、職人としても一流だし、奥さんはすごい美人だから(もうボッティチェッリ描くところのビーナスみたいに)かっこいいなあと思ってたんですけどねえ。

後にA嬢から聞いた話ですが、ペンコさんも私の事をすごく高く評価してくれてまして、何かあれば私の事を引き上げようとしてくれてます。こうなると、ほとんど私の兄貴分といった感じです。

また、昨年の職人展の前日に「俊寛は今年どんなのを出すんだ?」と聞かれたので、「職人シリーズ8点、ミニシリーズ15点・・・とにかく去年出した物よりは確実に良くなってるよ。」と言った。「フーン。でも、うちの作品もすごいぞ。」と言うので「いや、うちのだってかなりいいはずだ。」「いやいや、うちのだって・・・。」などと、段々お互いのテンションが上がって行き、両者の中間でバチバチと火花が散った。私に対してライバル意識さえ持ってくれてるみたいです。ちなみにペンコさんの弟子のA嬢は、親方の事をものすごく尊敬していまして、その親方すら尊敬する男が俊寛なわけなので、この2人が闘志を燃やす場面を目撃して、喜びのあまり悶絶していた。

日本に出発前、最後にバンキ父子とペンコさんの所に挨拶に行ったのですが、バンキさんたちとは、バールでゆっくり飲み物を飲んだ後、全身で抱き合って別れを惜しんだのですが、その後ペンコさんの店に行ったら、間の悪い事にお客さんが来てました。だからほとんど時間は無かったのですが、それでもペンコさんは一生懸命、出来るだけいろんな事を言わなきゃと努力してたみたいで、そわそわしてましたな。何か、すごくペンコさんらしい別れ方で、私はすごく満ち足りた気分で帰国の途につきました。

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2006年7月27日 (木)

仲のいい職人さん、その1

Banchi004 5年前からフィレンツェの職人シリーズを始めて以来、いろいろな職人さんに出会って来ました。その中で一番良い友達になれたのは、やはりこの方々のようです。前回のブログで登場した、ブロンズ職人のバンキ父子。

画像は3年前、私が初めて参加した職人展にて。ランベルト・バンキさんと私。ギター侍ではない。

彼らも職人展に毎年参加する常連ではあるが、知り合ったのは職人展を通じてではなく、フィレンツェの職人について書かれた本を片手に直接訪ねて行って知り合った。この時に手にしていた本は、バンキさんの日記の日本語訳をした中嶋浩郎さんの書いた本「フィレンツェ職人通り」でした。この本の他にも職人関係の本は2冊出ていまして、その全てにランベルト・バンキさんは登場しています。

知り合ってからはよく家に招かれ、昼ごはんをご馳走になったりします。私も台所を借りて、日本料理を作ったりしました。彼らは2001年に東京の伊勢丹で開催されたイタリア展で来日しているのですが、その時から和食が大好きになったんだそうです。「次に日本に行ったら蛇を食べたいなあ。」なんて言ってました。テレビで蛇を食べている所を見たんだそうです。私もまだ蛇を食べた事は無いんですけどね・・・。2001年の日本滞在は彼らにとっては本当に楽しかった思い出らしく、いまだにこの話が出てきます。「それにしても、日本は良かったなあ・・・。」なんて感じで。

毎回お世話になっているので、ささやかながらお土産にドラ焼きを持って行ってます。「わあ、アズキのケーキ!!」って感じで喜んで食べてますね。

Banchi0062枚目の画像は2年前の職人展にて。右が息子のドゥッチョ・バンキさん。私より3歳年上だったかな。元々電気技師の仕事をしていたけど、10年前に工房を継ぐことに決めて修行を始めました。だからだいたい修行の年数は私と同じぐらいですね。

この父子、2人とも純朴で優しくて無邪気な性格で、一緒に時間を過ごすだけで周りの人を幸せにするような、そんな人たちです。つまり「いいひと」なんだけど、この方々に関しては並みのいい人じゃないのです。なんて言うのか表現に困るのですが、天使のような人達とでも言えばよいのでしょうか・・・。この世の中に彼らのような人がいる事が奇跡のような気がする。

バンキさんたちは私の事をほとんど家族のように扱ってもらってます。まあ、今後どんどん付き合いが深くなっていく職人さんも出てくると思いますが、やはりバンキ父子は私にとっては特別な人達ですね。

さて、バンキ父子とは別の意味で仲のいい職人さんがいますが、彼については次回のブログで。

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2006年7月26日 (水)

仕事ばんざい-ランベルト君の徒弟日記

Banchi003_1 今回は本の紹介です。

画像1は1987年にフィレンツェで出版された本「見習い職人の日記」。作者は私の友達でフィレンツェのブロンズ職人、ランベルト・バンキさん。ブロンズや真鍮を使って彫刻が施された時計や装飾された鏡、写真立てやランプ、燭台、家具のとってなどを作る。

ランベルトさんは現在73歳、小学校卒業後にブロンズ職人の工房に入って修行を始めました。第2次大戦が終わって1年後、ランベルトさんはまだ13歳の時でした。(当時は義務教育は小学校までだったのです。小学校卒で徒弟になった職人は、このランベルトさんが最後の世代でしょうね。)その時お母さんに「字を忘れないように毎日、日記をつけなさい。」と言われて、見習いになった初日から約8ヶ月の間書いたものです。

簡潔な文体で、親方から糸ノコやヤスリの使い方を習ったり、ご褒美にチョコレートキャラメルをもらったりした事、お使いに出されたり、糸ノコの刃を折ってしまったりと、徒弟が親方の下で仕事を覚えていく様子が記録されています。考えてみれば、職人が少年時代を思い出して書かれた回想録ではなく、修行中の子供の目から見た職人の世界の記録なので、資料としても価値がありますね。

ちなみに上の画像で表紙に書かれている絵は、ランベルト少年が描いた親方の似顔絵。「僕の親方」と下に書いてあります。Banchi002_2

で、下の画像が中央公論から1992年に出版された日本語版の「仕事ばんざい-ランベルト君の徒弟日記」です。なかなか味わい深い内容なので、中学生あたりの課題図書にしてもいいと思うのですが、残念ながら絶版になってます。

私はランベルトさんと知り合った時に、イタリア語版はもらったのですが、日本語版も欲しくなったので探していたのですが、見つからず。幸い図書館の閉架にはあったので、時々借りて読んでいたのです。仕事を始めた時の新鮮な喜びとか、普通の生活の中で発見した幸せとか、何となく読んでておだやかな気分になる本ですな。私が知ってるランベルトさん自身、少年がそのまま大きくなっちゃったみたいな純粋な方だから、余計思い入れが強くなるのかもしれませんけどね。

で、今回の滞在中にこの本の翻訳をした中嶋浩郎さんという方と知り合い、1冊プレゼントしていただきました。(また物をもらってる・・・。)中嶋さんはフィレンツェ大学で日本語を教えているのですが、ランベルトさんの友達でもあります。

以下は日本語版のあとがきの要約。

現在の日本では子供を取り巻く環境が悪化して来ている。その背景として学歴社会とか競争社会、金権主義など日本社会のあり方に関わる根深い問題がある。では、この状況を改善させる一つとして「働く事の意味」を考えてみる必要があるのではないでしょうか?子供たちに働く事の喜びを与える事が、大人に果たされた大きな問題なのです。

まあ、働く事の喜びとは子供だけでなく、大人にとっても重要ですからね。ですから、皆さんも是非この本を読んでみてください。図書館にはあるかもしれません。

仕事ばんざい-ランベルト君の徒弟日記

著者 ランベルト・バンキ

編者 小泉和子

訳者 中嶋浩郎

発行所 中央公論社

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2006年7月21日 (金)

ある偶然から。

トリノからフィレンツェに戻って、しばらくの間はのんびりと過ごしていました。

知り合った職人は合計して30人以上。帰国3日前からあいさつ回りをしていくのですが、あいさつしなきゃならん人は職人だけじゃないので、ほとんど一週間前からいろんなところに顔を出して「多分、今年はこれでお別れになるのでお元気で。」てな事をやってました。

Image117画像はステンドグラス職人のマリオ・スパタリさん。(詳細は私のホームページをご覧下さい。)彼は私が職人展に参加する前年に観客として見に行った時に展示していた職人さんです。翌年からは職人展に参加する事はなかったのですが、 一応毎年あいさつには行ってます。

ただ今年はマリオさんとは結局会えなくて、私が顔を出した時はいつも長男のディエゴ・スパタリさんが働いてました。

しばらくディエゴさんと世間話をしてまして、今年の職人展に誰が出てたのか聞かれました。たまたま職人展のカタログを持っていたので、見せてあげた。

「ああ、この婆さん、まだ生きてたのか。」

「この人アル中だよな。オレは展示会に一緒に参加した時に、ずっと飲み続けていたのを見たぞ。」

「ああ、この人は貴族の出だ。職人としてはたいした腕じゃないけど、こういう人からは参加料取らないんだよな。で、オレ達からはきっちり参加料を取ると。」

なんて悪気は無いものの失礼な事を言って、二人で笑ってました。(最後のは聞き捨てならん話だが・・・。)

ところが、笑いながらカタログのページをめくってたディエゴさんの顔色がサッと変わった。ヴィンチェンツォ・ティローニさんのページでした。北イタリアのトレントから来た職人さんで、銅で鍋やフライパンを作る方です。フィレンツェには銅製品の職人さんが私の知る限りはいないので、展示会の時に珍しいなと思い見てました。

「この人の連絡先、控えてもいいかな?」とディエゴさんに言われた。別に構わないけど何でさ?と聞くと、

「この人の苗字、オレと同じなんだ。」

「?」

「オレには二つ苗字があるんだ。スパタリとティローニ。」

よくよく聞いてみると、ディエゴさんの本当のお父さんは彼が小さい時に亡くなられて、その後お母さんはマリオ・スパタリさんと再婚したので、ディエゴさんもスパタリ家に実のお父さんの苗字を残したまま入ったんだそうです。

で、ティローニ家というのは北イタリアのベルガモの高名な銅職人の家系なんだそうです。ティローニという苗字もイタリアであまり多い苗字ではない。唯一ひっかっかるのは、場所がベルガモとトレントの違いがあるという事ですが、山を一つ挟んでるけど直線距離にすればせいぜい50キロ程度です。ひょっとして親戚かもしれない。

「オレの叔父さんだったりしたらいいな・・・。」

と言ってました。思わぬ展開にびっくりしました。本当に親戚だったら良いよね。ディエゴさんは近いうちに電話してみて、お父さんの親戚だったらいろいろ話を聞きにトレントに行くんだそうです。

あいにく、この後彼らの工房を訪ねる事は出来ずに帰国してしましました。この話の結末がどうなるか、それは来年の楽しみですね。

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2006年7月20日 (木)

トリノ旅行、その3

Img_1550 画像はトリノのドゥオーモ。ドゥオーモってのは、その町の一番主要な教会のことですね。トリノのドゥオーモには、聖骸布と言うキリストの体を包み、その像がまるで魚拓のように写されている布です。「奇跡の布」という事ですね。鑑定の方法によって、13世紀に作られた物だったり、1世紀以前に作られた物だったりと、いろいろな説があるようです。中にはレオナルド・ダビンチが制作したなんて説もある。本物は普段は厳重に保管されていて見る事はできないので、レプリカが博物館に展示されています。

トリノの観光というと、他にはエジプト博物館とフィアットの自動車博物館が有名ですね。エジプト博物館は、トリノ市がかなり力を入れているらしく質量ともに揃った良い博物館でしたが、自動車博物館は何だか投げやりな感じでした。どうもトリノ人は「車の町、トリノ」ってイメージを持たれるのが嫌みたいで、なるべく車関係に力を入れたくないみたいです。車だって一つの文化なんだから、観光の目玉にしても良いと思うけどなあ。

Img_1619 2枚目の画像は、友達のE嬢の彼氏(生粋のトリノ人)が作ってくれたフリッタータという料理。卵をといた物に牛乳を加えて油で揚げる。油を切るために紙の上に乗せてます。トリノでは藤の花を具にしてフリッタータにしてある。トリノ料理の特徴として花を食べるんだそうです。アカシアとかスミレなんかも食べると言ってましたな。なかなか風変わりで美味しかった。

トリノに3日居た後、トリノから電車で3時間ほどの距離にある、マッジョーレ湖に住んでいる寄木細工の職人さんを訪ねようと思ってたのですが、先方の都合が悪くなったので断念してフィレンツェに帰りました。この職人さんは今年の職人展の参加者だったのですが、実に個性的で素晴らしい作品を作る人だったので、何としても切り絵にしたいのです。結局、今回の滞在では取材に行けませんでしたが、来年もイタリアに行くのであれば是非訪ねようと思っております。・・・って事は当然トリノにも行くってことだな。友達も最近広い家に引っ越したからいつでも来てと言ってくれてるし。

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2006年7月19日 (水)

トリノ旅行、その2

Img_1611 1枚目の画像はトリノ中心部から少し離れた丘にあるスペルガ聖堂。E嬢たちと夕食に行った帰りに連れて行ってもらった。サヴォイア家の墓所でもある。E嬢の彼氏は「デコレーションケーキかアニメのルパン3世に出てきそうな色使いで何か変な建物だ。」だそうだ。・・・そんなもんかねえ。私にはきれいな教会だと思うが。

さて、現在イタリアのサッカーで4チームが不正疑惑で騒ぎになってます。その内のユベントスがトリノをホームとするチーム。で、トリノにはこのユベントス以外にも「トリノ」という名前のチームがあるのですが、こちらはあまり強くないそうです。私はサッカーに全然詳しくないので、トリノというチームがある事を最近知ったぐらいです。

昔はイタリア国内リーグを4連覇するほど強かったそうなのですが、1949年に主力選手18人が乗った飛行機がこのスペルガ聖堂の裏に突っ込んで、乗務員・乗客合わせて31人が亡くなるという事故がありました。以後、トリノは2部リーグを低迷するチームになったんだそうです。

と、以上の話はスペルガ聖堂に行った時にE嬢の彼氏に教えてもらった話です。暗かったので慰霊碑までは見ませんでしたけど。

まあユベントスは今回の不正疑惑でごっそり主力選手を持ってかれても、お金持ってるからすぐ上位リーグに戻ってくるだろうと思う。

Img_1646 画像2枚目はポー川の岸辺に立つグランマードレ教会。「偉大なる母親の教会」とは立派な名前だ。ポー川の対岸にトリノの中心部があるので、あたかもトリノを見守っているように見えるからでしょうな。

トリノにはあまり観光名所は無いと言われてますが、なかなかどうして、このグランマードレみたいに絵になる建築物、景色はけっこう多いと思う。(しかしグランマードレの記事は地球の歩き方には全く書いてなかったな。何で?)

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2006年7月18日 (火)

トリノ旅行、その1

Img_1641 5月14日で職人展は終了。後は作品を梱包して日本に送るのと、何軒か工房に取材する事を除けばフリータイムって事で。丁度展示会の最終日にトリノから友達のE嬢が遊びに来てくれて、「3日後に車でトリノへ戻るから一緒に行かない?」とありがたい申し出があったので行って来ました。考えてみればトリノからフィレンツェまで車でも電車でも5時間かかるってのに、わざわざ私に会いに来てくれてありがたい事ですな。E嬢だけでなく、もう一人トリノ在住のS嬢ってのも見に来てくれましたけど・・・。

滞在中はE嬢の彼氏の家に泊めてもらってたし、ご飯も作ってもらってたので、ますますありがたい。

ともあれ初めてのトリノ。ついこの前冬季オリンピックをやってた場所ですね。オリンピックに間に合わせるための建物の改装工事が未だに終わってなかったりする所もあるけど、静かで良い町でした。

画像はトリノのシンボルとも言えるモーレ・アントネッリアーナ。167,5mの高さで屋根の上は展望台になってます。私は高い所は嫌いだけど、一応登ってきました。なかなか見晴らしがいい。

この建物の内部は映画博物館になってます。ヨーロッパで初めて映画が作られたのはトリノなんですよ。ちなみにイタリア発行の2ユーロコインの裏側のデザインがこの塔。どっかで見たと思った。

Img_1535 2枚目の画像は「トリノの客間」と呼ばれるサン・カルロ広場。二つ並んだ教会はサン・カルロ教会とサンタ・クリスティーナ教会。左右対称に見えるけど、鐘楼の有無の他、よーく見ると細部が違う。

周辺の回廊には格式あるカフェが軒を連ねる。中にはトリノの名物のチョコレート「ジャンドゥイア」の試食をさせてくれる店もあります。美味しかった。

トリノは車のメーカー、フィアットが有名なので、さぞ近代化されてるだろうなと思いましたが、ポー川とドーラ川の2つの川が街中を通っていて、適度に緑溢れる公園が配置されています。また古い建物も手入れが行き届いている上に物価も安いので(イタリアの都市の中では一番安いそうです。)住むにはいい事尽くめって気がしますね。毎年フィレンツェのバカ高い物価に悩まされている私としてはちょっと悔しい。まあ、トリノっ子に言わせれば「夏は川が近いから湿気がものすごいし、冬はアルプスが近いから寒いし。」と言う事でしたが。

Img_1577 3枚目の画像は上の画像の双子の教会の裏側。ちょっと見にくいけど、下のほうに横たわった石像が見えます。2体とも噴水で常に水が流れています。右が女で左が男ですが、これはそれぞれトリノを流れる2つの川、ポー川とドーラ川を表してまして、流れる水も実際のそれぞれの川から引いたものです。すてきな像だ。

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2006年7月17日 (月)

ナイフ職人、ジャコモ

Img_1801_1 ずーっと今年の職人展に展示した切り絵のモデルになった職人さんの紹介をやってますが、ようやく今回で最後。なーんか、すごい長くかかったような気がするなあ。

ナイフ職人のジャコモ・チェッキさん。ナイフの工房「サラディーニ」の4人の幹部の一人。昨年、一昨年の職人展に参加していたので知り合いました。

彼らの工房は、フィレンツェからバスで北へ1時間、スカルペリアという所にあります。一応ここもギリギリでフィレンツェの範囲内。この地は中世の頃よりフィレンツェの国境だったので、軍隊が駐留していました。その為に武器の生産が盛んで、これらの技術が現在でも伝えられ刃物の生産が行われています。毎年6月には刃物祭りが開かれる。

最近、工房を拡張したとかで、ゴタゴタしていた為に職人展は不参加。ジャコモさんも別の場所で働いていたそうなので、電話してもなかなか連絡がつきませんでした。そうこうしている内に職人展も終わって、私の帰国も迫ってきたので、しょうがない直接見せに行くかと思い作品をかかえて行って来ました。最近フィレンツェでは近郊に行くバスが減ってるみたいで、けっこう大変でしたな。

で、工房を訪ねてみたら、2階の事務所兼ショウルームに留守番の女の子が2人いたので、事情を話したら新しい工房へ電話してくれました。「日本人の子が赤ワインをお土産に持って来てるわよ」と言ったら忙しかったらしいけど早速やって来た。作品を見せたら喜んでくれまして、「ちょっと待ってろ。」と言って下の工房に降りて、ステーキ用のナイフに銀のプレートを付けて「Shunkan」と彫って私にプレゼントしてくれました。嬉しいねえ。

そういえば、昨年の職人展で私が優勝した時も、壇上に駆け上がって「おめでとう俊寛!!」と言ってガシッと握手をしてくれましたな。熱い男だ。

Img_1802_1_1  2枚目の画像は、ジャコモさんにバス停まで車で送ってもらった時に「そうだ、いい物を見せてやるよ。」と遠回りしてくれた場所です。

画像ではわかりにくいかもしれませんが、群生しているのはひなげしです。5月はこの花が咲く季節で、そよ風に花が揺れるのが風情があって好きな花です。これだけたくさん咲いてるのは珍しいですね。

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2006年7月16日 (日)

ガラス工房、ロッキ

Img_1511 画像1枚目は職人展にて。クリスタルガラス工房「モレリア・ロッキ」の職人の一人、エンリコ・オルミさんと。この工房も職人展の常連です。ちなみに写真でエンリコさんが着けているエプロンは職人展用で、展示会のロゴが入っています。このエプロンは参加者に貰えるわけではなく、買わなきゃならない。確か2千円ぐらいしたかな。最近はこのエプロンを着けて参加する職人も少なくなった。そりゃ、高いもんなあ。

2枚目の画像は工房にて。クリスタルの花瓶にグラインダー(回転やすり)を使って切子模様を入れていくエンリコさん。Locchi001_1 フリーハンドで複雑な模様を入れていく。このグラインダーをイタリア語で「モーレ」と言いまして、モーレを使う工房だからモレリア・ロッキという屋号なのです。ロッキというのは社長さんの苗字です。

花瓶の他にも塩やオリーブオイルを入れるグラスや瓶、大きい物だとシャンデリアなんかも制作されてます。

この工房には他に4人の職人さんが働いていますが、社長さんはパオラ・ロッキさんという女性。いい感じで貫禄がある方です。だいたい私の母親よりちょっと上の世代かな。この方にもモデルになってくれたお礼にと、ワインを持って行きましたら、

「まぁー、可愛い事してくれるじゃない、この子ったら!」

と言われました。その時ほっぺたをペチペチと叩かれた・・・。私の兄貴分とも言うべき彫金家のパオロ・ペンコさんとその奥さんは、かなり威厳のある夫婦であるが、その彼らにしてもロッキ夫人にとっては坊ちゃん嬢ちゃんになるらしい。私なんかは更にその下になっちゃうわけですな。

で、職人展ではロッキ夫人と一緒に写真を撮れなかったので(電池切れで。)何日か後に工房に作品を携えて行って来ました。

その時に「この前の赤ワインのお礼」という事で、彼らの手によるクリスタルガラスの一輪挿しをプレゼントしてもらいました。かなり高価な物のはずだから、私は狼狽しまして「いや、そんな、奥様そのような事をされては・・・。」と止めたのですけどね。結局、喜んでいただいてきました。次の名古屋の個展で机の上に置こうかなと思ってます。写真撮って送ろうかなっと♪

さて、ロッキ夫人と撮った写真ですが、私は最初エンリコさんと撮った写真のように絵の前で2人で並んで撮ってもらおうと思ってました。これは他の職人さんと撮る時も同じですね。ところがロッキ夫人は

「そうじゃなくって、絵を挟んで2人で見つめ合うのよ!!」

「え、こ、こうですか・・・。」Img_1655

と、こうして撮った写真が3枚目の画像です。いやあ、すごいね、イタリア女は・・・。海千山千の女性に手玉に取られたような気分でしたな。見事に一本取られて工房を後にする俊寛でした。

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2006年7月14日 (金)

ブロンズ職人、カルチナイ兄弟

Img_1518 上の画像は職人展にて、ブロンズ職人の工房「ブロンゼット」代表のシモーネ・カルチナイさんと。作品は一番上に展示しているやつ。1月30日から3月3日までのブログで作品を公開してます。今の所一番大きい作品です(100×70cm)。

彼らの工房も職人展の常連です。毎回楽しそうに展示してますね。時々白ワインの紙コップを片手に私のブースを見に来る。私の作品には壁にフィレンツェのサッカーチームの写真やヌードカレンダーなんかが描き込んであるので、私の作品とワインの紙コップを手にしたシモーネ君を一目見るだけで、どんな性格なのかわかっちゃいます。

サッカーと女とワインが好き。

・・・典型的なイタリア人ですね。おまけに仕事中もめちゃくちゃな歌をうたってるし。

Img_1523_1 下の画像、右側で腕を組んでるのがシモーネの弟のピエルフランチェスコ君。真ん中に居るのは昨日のブログで登場したモザイク職人のスカルペッリさんの娘、カティア姐さん(既婚、子持ち)。彼らのブースは毎年隣で展示しているので仲が良いそうです。時々連れ立って歩いてますね。兄貴のシモーネ君はレオナルド・スカルペッリを連れて、私のブースに来て「ほら、どうだ、オレの工房の切り絵が一番いい作品だろう♪」なんて自慢しまくってた。

・・・なんだか悪ガキがそのまま大人になったような感じですね。彼らとは歳が近いので、何度か飲みに行きました。愉快な連中だった。まあ、一見がさつな連中に見えるけど、これですごく気を使ってくれます。

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2006年7月13日 (木)

モザイク職人、スカルペッリ父子

Img_1512  ワールドカップが終わってもまだまだジダン対マテラッツィの騒ぎは続いているし、日本でも北朝鮮のミサイルの問題など、世間はいろいろ忙しく動いてますが、私は相変わらず新作の下絵と格闘しております。サイズがでかいの難しく、ここ数日気合が空回りしている状況でしたが、ようやくイメージが固まりって来ました。まあ、悩んだ分だけ良いものは出来るはずですかな。

で、ブログの方は未だに職人展のレポートだったりする。もはや2ヶ月も遅れてるなあ。

今回は1月19日から29日までのブログで発表した、モザイク職人のスカルペッリ父子。父レンゾさんと息子のレオナルドさんを描いたもの。

画像は職人展でレオナルドさんと。レンゾさんとも撮りたかったけど、カメラの電池が切れてて断念した。彼らも職人展の常連です。

Puccini003 2枚目の画像は彼らの作品。様々な色の石を板状に切って、寄木細工のように組み合わせて表現する。これがフィレンツェ式のモザイクです。画像下側に写っているのは、風景画の一部で道の部分。色ごとに違うパーツが使われているのがよくわかると思います。

これらはまだ彼らとしては簡単な作品。より複雑で大きい物もあり、見事な装飾が施されたテーブルなんかは日本円にして1千万円以上の値段が付いてます。工程の難しさとかかる時間を考えれば、納得できる値段ですね。

Puccini002 3枚目の画像は、石板を回転ノコで切っている所。小指の爪程度の小さいパーツもこれで切っているから、一歩間違えると指が飛びかねない。考えてみると、よくもこんな恐ろしい事が出来るもんだよね。

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2006年7月11日 (火)

怖い話。

3ヶ月ほど前から目の具合が変でした。視界の中央に焼きつきみたいな黒い点が現れるたと思ったら、それが見る見るうちに広がって行く。広がっていく時に黒点じゃなく、透明になるので、ちょうど視界にレンズを置いたようになります。で、そのレンズの縁が赤や緑、青色にチカチカと点滅している。メガネのレンズが片方だけ無くなったように、視界がガタガタになるので気分が悪くなったりするのですが、だいたい20分ほどで元に戻る。

これが2,3週間ごとに起こっていたのですが、イタリア出発前には準備で忙しくて医者に行く暇が無かったです。ここ1ヶ月はこれが起こらなかったので忘れてたんですが、しかし私としては異常事態だし、何かの病気で後で失明なんてことになったら後悔してもしきれない。怖くなって来たので眼科に行って来ました。

結果、硝子体混濁という症状で「よくある事だから治療の必要なし。」だそうです。安心しましたが、ここまで書いてて気が付いた。

ひょっとして歳のせいでは???

サッカーのジダン選手は34歳で引退されるそうですが、この方は私より1歳年下なんですよね。(そんな事を言ったら中田選手なんてもっと若いわな。)こっちはようやく駆け出しで、いわば人生が始ったばかりだ。しかし既に老化している!一方で同年代でやるべき事をやりつくして第2の人生を考えてる人もいるのだ。まあ、好きで選んだ自分の道なので不服は無いが、なんだかちょっと恥ずかしいかなーって・・・。

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2006年7月10日 (月)

勝ちました!イタリア!!

気になって制作どころじゃないので、ずっとワールドカップ、イタリアVSフランス戦を見てました。

元々そんなにサッカーは興味は無かったんだけど、決勝トーナメント以降おもしろさがやっとわかったみたいで、ずっとイタリアチームを応援してました。日本が負けてから興味持つってのも何だがなあ・・・。

いやー、でも良かった。ジダンの退場は後味が悪かったけど、あれで勝負が決まらずにPK戦で決着というのは、その方が対等の勝負という事で良かったかもしれませんね。見ていてハラハラしたけど。

ここん所、生活のリズムが狂いっぱなしだったので、いい加減元に戻して制作に励もおっと♪

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2006年7月 8日 (土)

気合入れて行きますか!

フィレンツェに滞在中は取材に集中して作品を作る事はないので、帰国間際になると「一刻も早く家に着いて制作したい。」という風になります。みんな私との別れを惜しんでくれるのですが、肝心の私はきもそぞろで帰ってからの制作の手順を考えてたりします。我ながら薄情だなあ・・・。

帰国後は多くの職人さん達から受けた刺激の余韻がまだ残っているので、「この作品を最高傑作にしたる!!」ぐらいの意気込みで制作を始めます。こうして自分のテンションを高めて、完成させるまで集中力を持続、この繰り返しで少しずつ前に進んでいると思う。

さて、ここん所いくつかの作品を同時進行で進めて来ましたが、そろそろ10月の名古屋の個展での目玉になるべき作品に取り掛かる時期みたいだ。職人シリーズでは今までやった事のない大きいサイズ。紙も今まで使ってきた紙では強度的に頼りないので、より厚い紙を手に入れた。ちょっと試しに切ってみたが、切ると言うより打ち抜くような感じだったな。だが使える。

最近、名古屋で行われた切り絵の合同展を見に行ってきたのですが、その時に自分の作品には力強さがまだまだ足りないと思った。要するに細かすぎるんですな。それは自分の持ち味ではあるけど、今の自分の作品に力強さが加わっても何の問題も無い。

この作品をモノに出来れば、一つ上の境地に入れるはずだ。今が自分の全てを賭ける時だな。

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2006年7月 4日 (火)

木彫職人、カルロ

Img_1525 久々に職人紹介です。木彫職人のカルロ・プッチーニさん。職人展の私のブースにて。彼はこの職人展に参加しているわけではないのですが、今年は彼の切り絵を展示したので、奥さんを連れて見に来てくれました。

作品は向かって右側の上。光が反射して何が描いてあるかまったくわからないですね。

下の画像が工房の様子。眼鏡をかけてると別人みたいですね。木製の燭台を作っている所。のみで木材を彫るのだけでなく、金箔を貼ったり色を塗って金属のように仕上げた後、わざと汚して骨董品のように仕上げたりも出来る。

この方の工房は私が昨年・今年と下宿していた家の近くでして、外出する時はほぼ毎回工房の前を通るので、ある日モデルになってくれるよう頼んだのです。最近は友人からの紹介か職人展で知り合う事が多いので、自力で開拓したのは珍しい。

Puccini001下宿から近かったため、よく立ち話をしたのですが、展示会前にポロッと「毎回、額縁を用意するのは大変だ。」と言ったら、「じゃあオレの額を使えばいいじゃないか。」と言ってくれました。展示会寸前だったし、サイズ的に合わなかったし、傷でも付けたら大変なので断りましたが、そう言ってくれた事はすごく嬉しかったです。カルロさんとしても和風の切り絵とイタリア的な自分の額を合わせてどうなるか興味があったらしい。まあ、確かに毎回間に合わせの額なので、一度ちゃんとした額に収めてみたいと思ってはいましたが。話し合いの結果、来年一点だけ借りることにしました。という事は来年も職人展に参加するという事になっちゃいましたけどね。(ああ、お金が・・・。)

今回いろんな物をもらいましたが、物だけでなく、いろんな好意も受けて来たと思います。・・・何もかも物をもらっちゃったら、かえって困るでしょうしね。「オレが作ったタンスだ!持ってけ!」とか「鉄の扉」とか「街灯」とか、そういう物を日本まで運ぶのは無理だ。

ところでカルロさんは今回初めて職人展を見に来たのですが、大いに興味を持ったそうで、来年は参加するつもりなんだそうです。

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2006年7月 3日 (月)

作品追加。

ホームぺージに1点作品を追加しました。

http://homepage2.nifty.com/shunkan/shiokumi.html

私の作品としては珍しい和物ですね。本当はイタリア物だけでなく、こういった作品もどんどん作って行きたいのですが、毎年宿題が多すぎて断念しております。この作品も昨年制作したもので、今年はとうとう作れなかったし・・・。今の所、年間11か12作がせいぜいですからね。せめて14作ぐらい仕上げたいと思う今日この頃。

作りたいものはいろいろあるんですがね。祭りや能の風景とか、あと静物画ということで雛人形なんていいかも。まあでも、こういったものだと他に切り絵を作ってる方ですでにやってる人はいそうだしなあ。

ともあれ、作ってて楽しかったです。普段おじさんの切り絵ばかりだからね。たまには私だって女の子が描きたいのだ。

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2006年7月 2日 (日)

無題・・・。

土曜日は名古屋まで出て、展覧会を見たり画材を買い込んだりしてました。帰って夕食の時にビールを飲んだのですが、食後いすに座ったまま眠ってしまいました。最近疲れがたまってたかな。でも気持ち良かったです。

というわけで今日はもう制作休みだ。ワールドカップでも見るか!

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2006年7月 1日 (土)

家具修復職人、マリオ

Img_1528 家具修復職人のマリオ・チウッリさんと職人展の私のブースにて。彼は職人展の参加者ではないのですが、奥さんを連れて見に来てくれました。

下の画像が彼らの工房の切り絵です。1月16日のブログで作品が完成した報告をしてますね。

この方は義弟のロベルト・オルソリさんと2人で働いています。友人の職人に「誰か面白い職人さんいないかなあ。」とこぼしたら「なら、あそこがいい。」と同じ通りにある彼らの工房を紹介してくれました。いつも扉をピシャッと閉めているので、外からは中の様子がうかがえません。友人の紹介がなければ知り合えなかったでしょうね。

Le_opere_2005_010 彼らにもモデルになってくれたお礼にワインを持っていきましたが、遠慮してなかなか受け取ってくれませんでした。結局は習慣にしてる事だからと渡しましたけどね。

そうそう、書き忘れてましたがワインの他に作品のA4サイズの写真も渡してます。パソコンが使えるようになって、家庭で大判の写真が手軽に作れるのって便利ですね。写真の方は躊躇なく受け取ってました。その際私のサインも入れてと言われたのは参ったけどね。(芸能人じゃあるまいしさ。)

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